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『完全無――超越タナトフォビア』第七十四章

さて、再度このテーマについて噛み砕こう。

消失し得ない存在について。

安易な第一歩こそ肝要だ。

まずは、生まれる前を想像してみよう。

世界に遍満した存在の複数形として、分裂しているはずの自己が見えてこないだろうか。

この宇宙には精子的ななにものか、卵子的ななにものかが確固として存在してしまうイマージュが立ち現われてこないだろうか、人間たちよ。

いのちの源が、蠢いて蠢いて、ひっきりなしに生成と消滅という物理学的応答を局在化させつつ、この宇宙中に拡散されてゆく様が、脳内に充溢してこないだろうか、人間たちよ。

さて、ここで人間たちはその故郷であるところの地球という星へとまなざしを集約すべきだろう。

生活マップの歴史的変遷としての地球を、ボーイズ&ガールズが生まれて初めて触れる地球儀のように回転させながら、地球人的観点から、人間たちの生活圏域における精子的なモノとコトとのリンク、そして、卵子的なモノとコトとのリンクへと意識の矛先を転回させてみるのがよいだろう。

さて、人間という生き物は、保健体育的に精子と卵子を維持するためにどのような画策を練り続けてきたであろうか。

成長するための栄養学的生活であろう。

生きるための本能的食事生活であろう。

生物学的な死を避けるための疫学的対応であろう。

快適な生を維持するための衛生学的配慮であろう。

中でも栄養素に対するあからさまな執着こそが、男性の精子、女性の卵子の実存力に計り知れない影響を与えていると思うが、どうか。

栄養素は、人間たちの生死に関わるあらゆる状況を激しく揺さぶることのできる素因のひとつではないだろうか。

それを思えば、人間たちという生き物は、元よりさまざまなる食物の中に、そして、さまざまなる食事の機会というコトの中にも、分裂者として存在し続けてきたことは確率性の高い事実なのではないだろうか。

そこでだ。

あなたの二親が摂取してきたすべての食べ物、すべての食事のシーンを、神のような視点で逆回しにして、その動画を視認するというシミュレーションに浸って頂きたい。

確率論的因果関係の壮大なる巻物を巻き戻すこと、つまり、開き切った長大なる巻物を先祖返りさせてみるのはどうだろうか、という提案である。

モノとしての人間たちという存在者だけではなくて、コトとしての人間たちの動き、働き、行為というものは、一般的なる知の体系(それは決して褒め称えるべきシステムなどではなくて、頽落した、ありきたりの科学的体系に過ぎないのだが)においては、過去へのすべての道筋を辿ることが許されていないわけではない。

歴史的時空というものは、推量的に無限に遡ることができ得るだろう。

もちろん、この無限という概念は究極的には、ない、とわたくしは言わなければならないのだが(完全無という「世界の世界性」に対して失礼に値するからだ)。

ともかく、人間たちは人間的スケールの知によって(前-最終形真理の枠内である、という留保付きではあるが)、生活世界、そしてそれを包含するところの歴史的時空世界、その圏域に遍満する過去、現在、未来におけるあらゆるモノとコトとに属する、精子・卵子的アイデンティティというものを、自己に照らし合わせてよくよく吟味した方がよいと思うのだが、どうか。

過去は現在と未来双方に深く根ざしている、と仮定してみるのだ。

死んだ後のことばかり考える癖を、とりあえずは失くすために、それは人間たちにとっての大いなる遅過ぎる第一歩となるだろう。

しかし、忘れてはならない。

前-最終形真理は、いや、真理と偽理(ぎり)とを超えたところにある【理(り)】には、そのような時間的順序関係、時間的優劣関係、時間的比重関係、時間的変化関係という関数が一切認められない、ということを。

この先、つまり二十一世紀以降、地球の地球人たちによる科学という知的武装がどこまでの進歩を遂げるのか、それは愉しみでもあるのだろうが、科学という知が、どこまでも時間や変化というものに対する威風堂々とした定義を拵(こしら)え続けることができようとも、科学が科学としての本分を全うする限り、前-最終形としての真理という限界値の領域内からでしか、世界に対してその機能を照射し得ないのだ、ということを、科学自身が人間たちに知らしめるだけではないだろうか。

究極の【理(り)】とは、この作品において追々正体を完全に現してくるとは思うが、いや、すでにその片鱗を作品内において感じ取ることはできるはずだが、ともかく、因果関係も確率論も認められない完全なる無に規定される案件である、ということはこの段階において肝に銘じておくべきである。

つまり、科学という知的財産を我楽多(がらくた)へと変貌させてしまうような認識論的、存在論的、形而上学的大転回を【理(り)】は強いる、ということである。

回すべきは、地球や世界ではなくて、あなた自身の方なのだ。


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