本日は梨木香歩
本日の車内読書は、梨木香歩『ピスタチオ』。朝の通勤電車で読むには、清らかすぎる気もするけれど、嫌な気分にならないからいい。
本には、アフリカの呪医の話が出てくる。「呪医」というのは、読んで字の如く、呪術を使う医者になる。初めてこの単語を知ったのは、小学校のころ読んだ『動物のお医者さん』だったな……。めっちゃおもしろいよねこのマンガ。
呪いやまじないは非科学的なものだ。科学は、いつでもどこでも同じ結果を出せることを重んじる。呪術はそうじゃない。利く人もいれば、利かない人もいるらしい。そんなあやふやなものは、文明や科学に仲間入りはできない。
こんな効果のあやふやなものでありながら、呪術は嫌がられる。誰かが自分に対して「呪い殺してやる」と言ったらいい気はしない。仮にその人が、毎晩神社で藁人形を打っているとか聞いた日には、本当に具合が悪くなるかもしれない。もちろん「元気だなあ、そのエネルギー、他に向ければいいのに」と呆れもするけど。
なにかが「ある」と信じる人にとっては、それは実際に存在するのだと思う。「呪えば他人を害せる」「おまじないは本当に願いを叶えてくれる」と信じるなら、それはもうその人にとっては真実なんだろう。
だから一概に「呪いやまじないがあるなんてバカバカしい。非文明的だ。さすがアフリカだ」なんて言う気にはならない。上にあげた二作品はどちらもフィクションとはいえ、あの南の大陸にはずっとそういう信仰がある。
西洋の学者が呪いの仮面を持ち帰ったら不審死したみたいな、ディズニーにそういうアトラクションなかったっけ?ともかく、信仰に優劣はない。
もっと言うなら、現代日本で信じられている「人には自由意志が存在し、人生に起きることは自己責任である」という考えだって、ただの信仰だろう。みんなで信じるからそれが力を持ってるってだけで。
『ピスタチオ』の中には、アフリカに対する登場人物の気持ちが書き込まれる。
実のところ、アフリカについてはよく知らない。読んだものといえば、前述の『動物のお医者さん』、『ピスタチオ』、それから『ヨシダ、裸でアフリカを行く』くらいだろうか。
だけどその3作品に共通するイメージが確かにあって、引用した部分はまさにそれだと思う。
なんでもあり。剥き出しの人間。うんざりもするけど、可能性にあふれている。
テレビなんかでよく映るのは「アフリカの貧しい子どもたち……国は安定せず、きれいな水も十分にありません」みたいな、悲惨さを伝えるテロップだ。あれも一部の真実ではあるだろう。でも全部じゃない。
アフリカを「支援の必要な気の毒な国々」として描き出すのは正直、「先進国」の高慢に見える。『ピスタチオ』にそういう不遜さは感じられなくて、久しぶりに読む梨木香歩、やっぱりいいなあ。
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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。