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よくない話

 よくある話。
 よくある話は、当事者になったとたん初めての真新しい経験に変わる。
 
 今日読んでいた『心の壊し方日記』は帯にこんな単語が並んでいる。

「認知症 癌 借金 鬱 マルチ商法 セルフネグレクト SNS炎上 自殺未遂」。

 どれもありがちなこと、なんかそういう人いるらしいよって風の噂で聞くような、そのレベルの「ある話」。
 
 著者はそのすべてをコンプリートしていて、さすがにここまで積み重なると、エッセイも読み応えがあるなあ……と読んでいた。認知症の母親はマルチ商法にハマって高い化粧水を買わされ、著者本人は炎上の末、自殺未遂をする。とても現代的な感じがした。
 
 そうして上に挙げた項目のひとつは、まちがいなく自分に関係があった。母親の認知症だ。正確にそういう診断を受けたわけではないけれど、本を読んでいて症状がそっくりだと思った。
 
 認知症の初期症状には、物盗られ妄想や強い被害妄想がある。著者の母親は、エッセイの中で「家に上がってきた友人が勝手に着物を盗んでいった」とおおよそありえそうにないことを愚痴ったり、相続を巡って自分がワナにかけられていると周囲を疑ったりする。
 
 自分の家も、だいたい似たようなものだった。
 
 母は去年、祖父母が立て続けに亡くなり、呆然としているところに遺産相続の手続きが降ってきた。残された家はゆうに7,8人は住めるような大きな家だったけれど、その広さがかえって仇になったのか、母は孤独にさいなまれたらしい。
 
 いつしか家中が盗聴されていると証拠もなく言い出すようになり、わたしが帰省しても家から締め出すようになった。ときには「殺されるかもしれない。葬式になってもお前は絶対帰ってくるな、命が危ない」と深夜に電話をかけてきた。そして、家中の物が盗まれて消えては戻ってくるのだと言い、悪の組織に命を狙われていると涙ながらに訴える。
 
 孤独は人を狂わせる。だれも自分のことなんか構っていないと考えるよりは、妄想上の誰かに盗聴されることを母は選んだ。どんなにひとりぼっちのときでも、周囲が思うように同情を寄せてくれなくても、自分の命を狙う悪の組織だけは常に、自分のことを忘れないでいてくれる。母はそう思い込み、そうすることで自分を孤独から救っていた。
 
 母親のもともとの性格も、やや虚言癖が入っていたり、奇妙な言動があったりしたから、どこまでがもとの性格のせいなのかわからない。とはいえ以前はここまで妙な言動はなかったから、やっぱり認知症が入ってきたと考えるのが自然だ。
 
 祖父母の介護をして暮らしていた母が、生き甲斐を失ったように人が変わってしまう。よくある話なのかもしれない。よくある話だろう。自分の身に降りかかるのを想定していなかっただけのことで。
 
 『心の壊し方日記』の中で著者は、SNSの発言が炎上し自殺をはかる。自殺は未遂に終わった。別に珍しい話じゃない。珍しい話じゃないけれど、自分の身に降りかかるなんて著者本人も、やっぱり思っていなかったのだ。

自分は危ういところにいるが、転がり落ちることはないだろうとたかをくくっていた。しかしあっという間にわたしはそっち側の人間になった。

真魚八重子『心の壊し方日記』左右社、2022年、163頁。

 「そっち側」がいつしか「こっち側」になってしまうこと。自分もいつかなるかもしれない。だってなにせ珍しい話じゃないんだし、よくある話はよく起こることなのだから。自分は当事者にならないと思っているだけで、いつなにがどうなるかは誰にもわからない。
 
 本の中で描かれることは、どれも誰もが当事者になりそうな話。生活に関心がなくなってゴミ屋敷に住むようになったり、突然配偶者が病に倒れたり。人間でいるっていうのは、本来そういう不安定なことなんだよな……と思わされた一冊。


著者の方のnote


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。