モナド。巣ごもりの哲学
モナドについて書こうと思う。モナド、語感がいい。プログラミング用語でもあり、哲学用語でもある。今回は哲学のほうで書く。理由は簡単で、哲学の話はできるけどプログラミングの話はできないから……。
「モナド」という言葉を編み出したのは、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ。名前の響きからうかがえるようにドイツ系で、宮廷に気に入られて出入りし、当時のヨーロッパで高い影響力を誇った。ちなみに機械式計算器というものを考え出したのもこの人で、哲学だけでなく数学にも強かった。
モナドは精神的なもので、見ることも触れることも部分に分けることもできない。これだと全然イメージがつかないから、自分は水滴をイメージする。一滴の水の中に、その滴の周りのすべての風景が映っているところを。その風景をうんとクローズアップしていくと、世界の果てまでもがその一滴の中に映し出されている、そんな感じ。そんな風にして、すべてを自分の中に映し出すことができる、それがモナドだ。
「すべてを知っているのなら、神様と同じじゃないか、と言う人がいるかもしれませんね」
モナドについて語るとき、教授はそう言った。
「それは違います。確かにすべてが映し出されているけれど、モナドには近いものが大きく、遠いものが小さく映し出される。その限りにおいて神にはなれないんです」
自分に近いもの、自分の関心のあることは大きく見えるけれど、関心がなかったり遠かったりすると、それは視界に入っていても、遥かに小さいものにしか見えない。モナドはそういう構造を持っている。私たちは、本当は遥かに遠くのことまでうっすら知っているけれど、近いものしか意識することはできない。だからモナドであっても神にはなれない。
時々、超人的に神経の過敏な人がいて、ずっと遠くで瓶が割れる音を聞き取ったり、人の気配や動きを極めて遠くから察する人がいる。私たちの多くがそんな風にできていないのは、すべてをそうやって──世界の果てや宇宙で起きていることまで──意識していたら生活ができなくなるから知らない振りをするだけで、本当は皆どこかでうっすら知覚しているのだ。これをライプニッツ的には「微小表象」というらしい。
モナドには窓がない。すべてを内側に含んでいるから、他者と繋がるために窓を付ける必要がない。それを孤独と見る人もいるけれど、全部が内側にあるんだったら、それはそれで充足しているんじゃないかと思う。
自粛があまりに長く続くので、外の情報にほとんど追いつけていない。哲学の話題は、新しくない代わりに古くもならないから、巣ごもり引きこもりのお伴にはとてもいい。
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。