![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83174186/rectangle_large_type_2_9c8cf1b7fb474ff7fa5facdc8c5c075b.png?width=1200)
#今こそ読みたい神マンガ
「神○○」と言われると、なんだかぶっ飛んですごいものしか紹介しちゃいけない気分になるけど、ぶっ飛んでないすごいものだってある。ハラハラドキドキしなくても、泣いて感動しなくても、心にずっと残るもの。
坂田靖子の漫画がそうだった。『バジル氏の優雅な生活』。
バジル氏は英国貴族で、プレイボーイで、背が高くて、顔がいい。執事のアダムスは心配性で、ロンドンには貧民や詐欺師や子ども売りが跋扈する。こう書くと、波乱万丈の物語が待っていそうだけど、坂田靖子の描き方はなんだかいつもそうはならない。
日常の中で事件は起こり、事件とともに日常も進んで行く。そういう塩梅があまりにうまい。いろんなことが起こっているはずなのに、穏やかで柔らかな画風に包まれるから暗い気持ちになれない。
作者は基本的に人間を信じているのだと思う。作品の中に出てくる台詞に「生きている人間は、それだけ幸福でなきゃいけないんだ」があって、こんなの人を信じていないと書けない。
自分は「作者の人格と作品の質なんて比例しない。ダメ人間が傑作を描くことなんてざらにある」と考える人間だけど、『バジル氏~』に関してはちょっと違う。書き手の温かさがなくては成立しない。そんな作品。
中には子どもを売り買いする大人、場末の酒場で荒れる詐欺師、うんざりするような社交界のパーティーが出てくる。こんな言葉にしたら救いようのない描写も、少しも深刻にならない。残酷に煽情的に描こうと思えばできるのに、作者はやらない。
すべて明るいトーンで愉快に描かれていて、それなのにどこか人生の暗い部分がなにげなく入り込んでいる。
外国で言葉がわからない苦しみは、流暢に話せるようになったあとも人を苦しめること。植民地と本国に翻弄される人生があること。
それから、人生に大事なことがたくさん。好きな人には、ちゃんと好きって伝えたほうがいいこと。絵の中の人はキスしてくれないから。生きている人間に、本当は喪服なんてふさわしくないこと。人は生きてるだけで幸福でなきゃいけない。
そんな「全部詰まってる」作品で、全部詰まっているのに、少しも押しつけがましくない。「ハイここで泣いて!」「ハイここで主人公と共に怒りに震えて!」と命令してこない。ただ反応を読者に委ねるように、淡々と穏やかに油断なくかかれている。
坂田靖子のほかの漫画だって、いろいろ好きなのはあるのだけど、一番はやっぱりこの『バジル氏の優雅な生活』なのだ。「優雅」はいい。たとえ悲しい言葉に傷ついて悪い夢を見たとしても、優雅であろうとする気持ちを持つ人に、世界は少しだけ優しくなる。
「正しい」よりも、優しくてユーモアがあるほうがずっといい。そんな気持ちになる作品。
そのほかの代表作は、例えばこれ。
子どもたちがわちゃわちゃし、堅物の校長先生が振り回される『D班レポート』。一応、舞台は学校だけど「学園もの」ではない。青春!恋愛!みたいなノリでは全然ない。
そうじゃなくて、子どもたちにも自分たちの世界がちゃんとあって、そこは大人に劣らず豊かで楽しいんだって思い出させてくれる。
それから『闇夜の本』シリーズ。シュールな夢を見ている気分になる。登場人物が人とは限らないし、なんなら人じゃないほうが多いかもしれない。幽霊、怪物、狼男に、生きている死体……でも全然怖くなくて、ふふっと笑ってしまえるのがいい。
鬼が出てきてタンゴを踊り、小鬼が出てきて「キリマンジャロの雪はすだれを上げて見る」「絶景ですな」とか風流なことを言う。出てくる人間のほうもさして常識人じゃない。
「怖くないおとぎ話」と言ったら近いだろうか……。目覚めたまま夢を見たい人におすすめ。
いいなと思ったら応援しよう!
![メルシーベビー](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/68008264/profile_ae966df23066831cb75994c3d72bd140.png?width=600&crop=1:1,smart)