嫌ならやめていいんだよ
嫌なのにやめられない
僕には苦手な場所があります。そこにいくと過去の辛い記憶を思い出し、動悸が激しくなり、いてもたってもいられない状態になるからです。
ただ、そんな場所があっても、全く気にする必要はありませんでした。そこを避ければいいのですから。あえて、自らそこにいく必要はどこにもなく、そこにいけなくても、僕の生活にはなんの影響もないと思っていたからです。
しかし、ある時にどうしてもそこに行かなくてはいけない事情が出来てしまいました。避けられないと思った時に、僕はその場所に行かなくても、急に苦しくなったのです。僕自身の世界が、急にどんよりしたのが分かりました。
それまでは、元気で明るく振舞えていたのに、急にネガティブな発言や行動をするようになってしまいました。そんな僕をみかねてくれた人が、相談に乗ってくれて、代わりに行ってくれたから一大事にならなくて済みましたが、あの時にひとりで行っていたと思うと、今でもぞっとします。
このことは、まさに僕だけのことではないと思うのです。誰にでも、嫌だと思っていても避けられない状況があります。その気持ちが、物凄く分かります。まさに僕が今でもいけない場所が以前働いていた場所だからです。
僕は、嫌で嫌で仕方なかったのに、何度ももうだめだと思っていたのに会社を辞めることが出来ませんでした。むしろ、電卓も打てないくらいに鬱の状態でもあったにもかかわらず、辞めたくない。辞める訳にはいかないんだと叫んでいたくらいです。
僕のように辛いと感じていても、その会社や家庭、学校といった場所にとどまってしまう人はたくさんいます。そこにしか、自分の居場所がないと思い込んじゃうのです。
やめられなかった原因は
しかし、この僕自身の行けない場所の時の実体験や心境を読み解いていくと、自分を苦しみから解放することが出来るヒントが隠されていました。
僕は行かないといけないと思い込んでしまった瞬間から、たちまちストレスを感じ、精神的にまいってしまいました。しかし、実際には、相談に乗ってくれた人が行ってくれました。
僕の思考が停止していたのでした。しっかりと考えることができれば、自分でも回避できることでした。しかし、行かなくてはいけないと思い込んだ瞬間から、回避できるかもしれないということは一切考えませんでした。その人が救いの手を差し伸べてくれなかったら、誰かに相談することすら思いつきませんでした。
僕が嫌で仕方なかった会社にいたときも同じです。しなければいけないという思考は、他の可能性を考える思考を停止させてしまうものなのです。また、勇気を著しく損なわせてしまうものだということも言えます。
つまり、しなければいけないという思考に陥ってしまった時というのは、自分の可能性を信じられなくなっていることなのです。だから、その時の自分の思い込みを解放してあげることが大切です。
誰にでもちょっとしたきっかけで、しなければいけないという思考に陥ってしまいます。その原因は自分には価値がないと疑ってしまったとき。
周りから、努力が足りないだとか、もっと頑張れだとかは、よく言われるものです。自分では、精一杯努力しているつもりでも、周りは結果でしか判断できる材料がないために、このような言葉を投げかけてしまうのです。
自分が実際にどう思い、陰でどのような努力をしているのかまでは、相手側からすると見ることは不可能に近いことで、本人にしか分からないことですから。
自分に対しての情報量の差が雲泥の差であるために、自分への理解が他人とは全然違うのです。それなのに、他人の言葉ばかりを鵜呑みにし、信じてしまったために、自分を認めることが出来なくなってしまったのです。そうした人の多くが、しなければいけないという思考に駆られてしまうのです。
自分の価値を信じることが出来れば、自分の可能性をどこまでも信じることができます。なので、色んな可能性を考えることが出来るのです。
僕のように、この会社しか自分の居場所がないのではなく、僕には色んな可能性があるのだから、嫌な思いして、ここにとどまっていなくてもいい。もっと良い環境やもっと違う世界だってみれるはずだって。そう思えるのではないでしょうか。
自分のことをダメな人間だとか、これくらいの人間だと、決めてしまうことで、自分の可能性に制限かけてしまう。どうか信じて欲しい。そもそも、あなたが生きる目的は、辛い思いをすることではないのです。
自分の価値を信じていくために、自分を受け入れていく必要があります。
明日から、少しシリーズ化して自分を受け入れるにはどういうことなのかを考えていこうと思います。よろしければ、是非読んでみて下さい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー