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お墓参りにいってきましたぜ。

今朝奥が突然

「墓参りにいかねば!」

と言い出した。
うん、そやな。
確かに最近行ってない。

でも、でもやで。
わざわざこの年の瀬にいかんでもええやろ。
内心そう思った。
しかも奥は今日夕方から仕事。明日も仕事だ。

「いつ行くん?」

クールなトーンで聞いてやった。
すると

「今日!」

と言うではないか?
大丈夫か?と念押しをしたが、
大丈夫だということ。

ならば仕方あるまい。行こうではないか。
ただ・・・ここでひとつの懸念が生まれる。

「やつら(両親)は?」

そう。うちのとしはるとみちこだ。
当たり前のことだが、91歳車椅子と
84歳膝痛い+耳遠いを連れていくのは
それなりに負担を強いられる。

あと壊滅的に会話が成り立たない(笑)
結構「え?」「ん???」みたいなの多いし、
何よりネガティブな発言が多いのもしんどい。

出来れば奥と二人だけでサクッといきたいところ。
だがしかし。奥はこういう。

「連れてってあげやんと年越せやんよなあ・・・」

た、確かに。
今年はいろいろとありすぎた。
このまま平穏に新年を迎えるためにも
ご先祖様に報告とお願いを全員ですべきだと判断した。

奥が伝えに行った。

「行く」と即答だ。
あっというまに着替えて、玄関先でワラワラしていた。

「まだ車、ドアあいてないで!」

そう言っているのに車のまわりでうろうろしている。
これはあれだ。
ちっちゃい子がお出かけのときに
嬉しそうにはしゃいでいるあれだ。

行先はどうでもいいのだ。
ただ「お出かけ」が嬉しいのだ。
そう、人は歳を取るたびに子供に還っていく。

確かにもう車の運転もできないし、
自転車も乗れなくなった両親は
「誰かの車」が唯一の移動手段だ。

お出かけが無い限り、ずっと家の中だ。
確かにそれはきつい。
私ならどうにかなってしまうかもしれない。

これ以上どうにかなられても困るので
とにかく連れていくことにした。

車内はいつも通り二人ともご機嫌だった。
としはるが外を見ながら何やら言う。
多分、昔話をしているのであろう。

すまん。私には何を言っているのか聞き取れない。
ではみちこはどうだろうか?
さすがに60年も一緒にいるのだから
きっとちゃんと伝わっているに違いない。

だがみちこの反応はこうだった。

「え”ー!!!!!」

なんか怒ってはる?
そう口調がきつい。そして声がデカい。
そうなのだ。みちこ、ちょっと耳が遠い。

何を言っているのかわからないし、
小さな声でごにょごにょしゃべるとしはるの話を
聞きとれるはずはなかったのだ。

だがそこは中国4000年、
いやかわもと家60年の歴史、
なんとかなるものなのだ。

みちこの反撃に対してとしはるが
少し強めの口調で再度話をする。

「あ”-!!!」

理解した様子である。
私にはやっぱり何かわからない。
さすが夫婦である。

ただひとつ懸念はある。
実はみちこ、昔っから話が伝わりにくい人であった。
なんかね、独自の解釈というんですかねえ。

「今日のご飯何?」と聞いたら
「となりの家の犬がずーっと鳴いててな」

みたいな感じで、つながる先が違うことがままある。
なので今朝の会話もそうなっている可能性がある。

これだと後々問題が起こりそうなものだが、
そこは二人ともいい感じで年寄りになったので

  すぐに忘れる

という技術を習得しておる。
だから問題ない。平和なのである。

墓地は2か所ある。父方、と母方だ。
まずは遠い方、母方のお墓に行く。
ここには母方のじいちゃんとばあちゃん、
おじちゃんとおばちゃんがいる。
私は母方のじいちゃん、ばあちゃんには
とてもかわいがってもらっていたので
ここのお墓はことあるごとに気になっている。

実はお恥ずかしい話なのだが、
ここのお墓にお参りする身内はほとんどいない。
多分、うちの夫婦が一番来ていると思う。
うちの両親にしても、私たちが行かないといけない。

それでもおばさんとかが来てくれてはいる。
ただその下の世代。そう私の世代だ。
ここは私だけであろう。いとこたちが来ているというのは
実際には聞いたことがない(来てたらすまん)

まだ私たち夫婦が来れる間はいいかもしれない。
問題はその次の世代。
うちに子どもがいないので、私たちの意思を継ぐ者がいない。
まあ居たとしても、それを負わせるのはかわいそうだが。

そうなるとどこかで墓じまいとかになるのだろうか。
そしてその墓じまいはだれがするのか。
厳密にいうと、じいちゃんと私は姓が違うので
私がメインでやるというのもどうなのかな?と思う。
でも誰もいないしなあ・・・。

私も歳をとったので、これ直近の問題になるかもしれない。

その後、父方のお墓に行く。
ここにはじいちゃん、ばあちゃんと本家のおじちゃんがいる。
おじちゃんは私の理解者だった。いい人でした。
ここのお墓は娘さんたちがこまめに来ているので安心。

実はここのお墓にうちの両親の墓を建てるための場所が確保されている。
なんでも余裕がちょっとあったときに買ったのだとか。
その場所は雑草が生い茂っていた。

「うちの場所、姉さん(親父のお姉さん)が生きてたころは
 しょっちゅう草ひいてくれてたんやけどなあ・・・」

う、うん・・・おばちゃん、もうおらんよな。
ここにも墓地問題があったわ。
どうする?雑草?これは弟と相談かあ・・・・。

気にはなるがいつかはここにも墓石が立つ。
そのことも考えないとあかんわけだな。

さっきも言ったけど、うちには子どもがいない。
幸い弟のところには、娘が2人いる。
姪っ子たちには申し訳ないが、
この辺のことも頼んでおかないといけないなあ。

と、そんなことを考えていたら
自分たちの老後(いやすでに老後突入だが)も気になってきた。

お墓はどうするのか?
自宅はどうするのか?

随分先のことのように思っていたけども
ちゃんと考えないといけないなあ。

帰り道、車のラジオから
水原弘の「黒い花びら」が流れてきた。
なんととしはるがそれに合わせて歌っている。
歌詞も音程もリズムもかなりあやしいが
なんだか楽しそうだ。

としはる「これはやったなあ」
みちこ「そうやなあ」

今日も平和である。

追伸1
その後ちあきなおみの「喝采」も流れてきた。
としはるはこれも同じように歌ってた。
ていうか、親父が歌を歌うの初めて聞いたかも。

追伸2
そしてその後、中森明菜の「DESIRE」が流れてきた。
としはる、沈黙であった(笑)
代わりにうちの夫婦がノリノリで歌ってやった。