親の授業
最近「寿命」について考える時間が増えた。
その理由には高齢の両親の存在がある。
父91歳、母85歳。
父にいたっては、がんになってたりするので
どうしても残りの時間を考えてしまう。
この歳になって気づくのは遅いのかも知れないが
親の老いとか寿命とかは
ほんと想像できていなかったなあ。
よく「生きているうちに親孝行しなよ」って
聞いてはいたけど、それは真実だと思う。
うちの親はもう旅行にいくことも
かなりの負担になってきているし、
美味しいものを食べてもらおうと思っても
体が欲しなかったり、受け付けなかったりする。
去年、うなぎ好きの父のために
うな重をテイクアウトしてきたことがある。
父はよろこんで完食していたが、あとが大変だった。
3~4日ほど、体調不良になっていた。
あとで調べてみたら、高齢者にうなぎは
結構負担になるそうだ。
パパ、ごめんよ。
昨日も病院に連れていき
主治医の先生と今後の話をしてきた。
もう91歳。持病もてんこ盛りだ。
本人はどう思っているのかわからないが
子どもたちはそんなに時間はないことを
理解していると思う。
でも実感がない。
自分の両親が旅立つ実感がないんだ。
不思議だと思う。
みんなそうなかどうかはわからない。
私自身、両方の祖父母や叔父、義父を
見送ってきたけど自分の親は実感がない。
ここ数日そんなことを考えていたら
今朝、急にこんなことを思った。
親ってもしかしたら
自分の人生を見せることで
子どもに何かを教えているんじゃないか?
って。
言葉じゃない授業をしているんじゃないかって
そんなことを感じたんだ。
いいことも悪いことも楽しいことも辛いことも
そしてこの先起こることもすべて
「お前たちにも同じだよ。ちゃんと見ておきなさい」
そう言われている気がしている。
うちの親もまあいろいろあった人だし、
「もうちょっとなんとかできんかったかなあ」
と思うところもあったりするのだが、
そういうこともひっくるめて
「一人の人間の一生」
それを見せてくれている。
それは目の前で起こっている真実だから
ウソ偽りがない。
そう。真実を命がけで教えてくれている。
親の役目ってそういうことなのかも知れないなって
そう思ったんだよね。
この先、父にも母にも何が起こるのか。
予測はできても、実際はわからない。
それを見せてくれるのは両親だし、
それを感じ取れるのは残された
私たち家族だけなんだろうと思う。
親の授業だ。
私にとって、そして弟にとって
姪っ子たちにとって、
そして姪っ子たちの子どもたちにとっても。
最後まで欠席や離席や居眠りをしないよう
しっかりと授業を受けようと思う。
追伸1
私には子どもがいない。
ということは親の授業ができない。
はて、どうしたものか?と思ったが
私には「コーチ」という役割がある。
その役割を通して生き様を伝えられたら
役目は果たせるよな。そう思った。
追伸2
少しずつ弱ってきている父親。
本人もそれは自覚しているみたいで
「前みたいにできなくなってきた」
と言っている。そして
「だからリハビリを頑張る」
と言う。
すげえな。うちのパパは。