生き生きとしたエネルギーに向かうために
メンタリスト 彩 -sai-(@psychicsorcerer)です。
少し、思考のスケッチのようなものを記事にします。
かなり、抽象的な物言いになってしまいますが、ご容赦ください。
本来は生き生きとしたエネルギーであるものが、もう現代では、いかがわしいもの・怪しいものとされてしまってしまっているとしたら。
本当に健全なのは、その「いかがわしいもの・怪しいもの」なのではないか。
それを貶める現代は不健全ではないのか。
それが本当だとして、だとすれば、問題はその現代で育ってきてしまった自分たちだ。
その生き生きとしたものを、どうにか生き生きとした健全なものとして、真っ直ぐに見ることはできないか。
やはり、環境のバイアスは入ってしまいそうだ。
バイアスはあるが……繰り返せば慣れるかもしれない。
きっと、飛び込むしかない。
それでも、自分のバイアスや世の中の視点が入る限り、飛び込むことには勇気もいるだろう。
何より、本当は健全だと予めわかることはないから、それは元の「いかがわしい・怪しい」形で世には喧伝されている。
それは、飛び込むことを躊躇させる。
もしかしたら、それは本当は、見た目通り不健全なものかもしれない。
そうすると、それは自分に害を及ぼすだろう。
飛び込むことは、その意味で勇気がいる。
考えてみたら、駄目だとわかっているのに、抱いてしまう恋心のようなものが、今回考えたものに似ている気がする。
やはりそこには、ある種の勇気と無謀さと狂気がないまぜになったものがあるからこそ、飛び込むことになるのだろう。
結局は、この飛び込むことは、保証のない先に、自らを投げ込むことになるのだ。
ならば……飛び込む際には、己の心の奥底に耳を傾ける必要があるだろう。
世のスタンダードに頼らず、自分で生き生きとしたものを掴み取るには、きっと上記のような事情が絡んでくる。
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