noteで文章の自由さに気付いた
noteを書く時に、一つのやり方だともったいない。
もっと、その人が自由になれるような書き方が見つかる気がする。
メンタリスト 彩 -sai-(@psychicsorcerer)です。
今回は文体やその周辺の話を。
noteを書き始めてから、以前よりも文体や文章のレイアウトを意識するようになった。
(具体的には、語り口調あるいは語り方、そして改行をどうするかといった話。)
私はここで書く多くの記事を、ですます調にしているが、今回は、だである調にしている。
(同時に文章のレイアウトも、多くの記事とは違うものになっている。)
今回はこちらの方が自然だから、という感覚的な部分が大きいが……
この違いは何だろう。
はっきりと違いがわかっているわけではないが、この語り口調の違いがトーンの違いだということまではわかる。
そして、おそらく、このトーンの違いは自分が言葉を発する際の、
「伝える方に力点がある」か「独り言めいた面に力点か」
という違いなのだろうことも、わかる。
これをもっと感覚的に表現すると、
ですます調の時は声のトーンが高くて、(目には見えないが)相手を見ている感じで、
だである調の時は地声のトーンで、自分の内側を見ている感じがする。
ですます調は社会性に重点を置いた語り方で、だである調は頭の中の「内言」そのものをあらわすことに重点を置いた語り方、だ。
私は、自分で決めたやり方を崩すのが苦手な人間なので、今までだったら、同じメディア内にこういった違いが出ることを嫌っただろう。
しかし、noteを書き始め、様々な人の記事を見ていく過程で、
「もっと文体やレイアウトは自由でいいんだ」
もっと言えば、
「同じ人間の中で語り方は変動してもいいんだ」
と思えるようになった。
(この「いいんだ」は、「許される」という消極的な意味合いだけでなく、積極的に「それをやっていこう」というニュアンスなのだけど……上手く伝わるだろうか。)
その昔、文体の違いは、その人の中にある複数の「人格」の違いをあらわすと思ったことがある。
(この場合の「人格」とは、「あの人、怒ると人格が豹変するよねー」というような場合の人格を指している。)
この考えは、いまだに信じている部分があるが、これが真実だとすれば、同じ人の中でも文体を変えることで思考の違いや感情の違いをあらわすことができるのではないか。
むしろ、
自分の中の様々な文体を発見していくことで、自分の中にある多くの「人格」を発見し、もっと自由な自分になれるのではないか。
少し、壮大になってしまったけど(笑)
でも、冗談ではなく本心に近い。
では、文体(あるいは語り方)をどう発見するか。
自分の中にある様々な文体は、簡単に見つけられると思う。
それは、例えば次のようなつもりで書こうと意識すればいい。
・感情的になった時の頭の中のつぶやき
・考える際の自分の中での対話
・誰かに直接向けるメッセージ
・誰かを念頭に置いた間接的なメッセージ
・まだ見ぬ誰かに向けたメッセージ
・未来や過去の自分に向けた文章
・一般に向けた文章
・特定の層に向けた文章
・思いついたことのメモ
・詩を書くつもりで書く文章
等々
これらを切り替えるだけで、文体は勝手に変わる。
(少なくとも私は変わってるように思う。)
また、こういう意識を1つの記事の中で切り替えていけば、文体だけではなく、内容も浮かんでくることがある。
(それは例えば……↓)
……と、
今回はこんな感じで、
自分なりの考察を
書いてみたんですが、
皆様は自分の文体を
意識して書いていたでしょうか?
「どうしても書くことが
浮かばない!」
という方も、
上のような感じで
意識を変えてみるだけで、
書くテーマが
勝手に思いつく場合もあるので
是非、参考にしてみてください!
また、
「自分はこうしている」
なんてアイデアがあったら
コメントをいただけると、
嬉しいです!
文章は一人で完結するもの
というだけでなく、
相互作用で新たなことが
生まれてくる側面も
あると思いますので。
↑という風になる(笑)
つまりは、「どういうつもりで、誰(何)に向けて」書くかで文章の大きな方向性や内容は定まるということでもある。
この辺りは、「とりあえず書く」という方法と合わせておさえておくといいと思う。
(以下の記事と、記事内でさらに言及している記事を読むと参考になるかもしれません。)
これが現在の私なりの気付きだ。
だから、
もっと、自由に文章を書いていって、文章で自由になっていきたい。
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