ハラスメントストッパー <看護大学での講師のバイト> 連載2回目
2.桜の時期
桜の時期、看護大学の講義が準備を進めていました。
講義概要は大学からいただいてました。
その一方で、自分の目標としては、
自分にとって摂食嚥下障害を持つ方の支援に取り組むとは、どういうことなのか。講義するならば、ここまで説明したい。
目標高めに設定していました。到達できるでしょうか。
当時、自分が抱えていた課題の筆頭は、
スタッフ同士の意見交換ができていない状況でした。
職場での意見交換では、患者さんのことよりも
「相手が自分の言うことに屈してくれること」
の方が優先されているのではないか
と感じることがよくありました。
自分にも「あ、やってしまった」と感じることがありました。
何年か前から記録していた読書メモの中に、
「食事に介助が必要な人の場合も、おいしそうに食べる人がよし、とされることがあり、それが圧力になっていた」
「自分が差し出したものを相手が受け入れて食べる という関係の成立が大切という面があるのではないか」
と書いたページがありました。
題名は「食べることと出すこと」、著者は頭木弘樹さんでした。
「食べ物」と「言ったこと」の違いはありつつも、
自分が感じ取っていた重い状況は、これと同じことだと思いました。
柏木さん:自分が差し出したもの =自分: 言ったこと
柏木さん:相手が受け入れて食べる=自分:相手が屈してくれる
講義のテーマは「摂食嚥下障害を持つ方のケア」です。
食事介助の課題は、「食事場面」を越えた関係性の課題であり、普遍性ある課題になのではないか。 そこには大きなテーマが潜んでいるようです。
数年前から書き貯めていた読書メモのストックが、
講義の資料を作成するのに、役立ちました。
このときばかりは、メモに残していて良かったと思いました。
(続く)