マガジンのカバー画像

消えゆく記憶と共に〜双極症の私と認知症の母の日記〜

私は双極性障害を抱え、母は認知症を患っている。病が進むにつれ、私たちは現実を見失い、自分が誰であるかもわからなくなる。そんな私たちは、まるで鏡に映る存在だ。全体と部分は見方の違い…
¥2,980 / 月 初月無料
運営しているクリエイター

#母親

【第18日】母の音色、新たな調べ

認知症の治療の鍵は「新しいことを覚える」ことにあるのではないか——そんな考えが私の心に芽生えていた。母は昔の思い出を生き生きと語るのに、最近の出来事はすぐに忘れてしまう。そのたびに、口癖のように「面倒くさい」と呟く母の姿があった。 ある日、私は母に漢字検定の勉強を一緒にしようと提案した。新しい漢字を覚えることで、脳を刺激できるかもしれないと思ったのだ。しかし、母の興味は湧かず、長続きしなかった。私自身も興味のないことを覚えるのは苦手だから、その気持ちはよく分かる。 では、

【第16日】同じ朝、異なる喜び

母との朝食と思い出のカフェ 子供の頃、私は母にひどい言葉を投げかけた記憶がある。「毎朝同じごはんで飽きちゃうよ」と不満をぶつけたのだ。母は悲しそうな表情を浮かべたが、何も言わずに次の日も同じ朝食を用意してくれた。その頃の私は、自分の未熟さを母に押し付けていたのだと、今になって気づく。 大人になった今、私は近所のチェーン店のカフェで朝食をとることが多い。そこには三種類のモーニングセットがあり、すでにすべてを試した。やがて、同じメニューに飽きてしまい、そのカフェから足が遠のく

【第14日】母に映る私、私に映る母

母と私の鏡 夕暮れの柔らかな光がリビングを包み、母はお気に入りの椅子に腰掛けていた。私はキッチンからお茶を淹れて、彼女の隣に座った。 「お母さん、最近どう?」と尋ねると、母は自信満々に微笑んだ。 「とても元気よ。私が認知症になるなんて、ありえないわ」と彼女は言う。その言葉に、胸の奥がざわついた。医師から中度の認知症と診断されているのに、母は頑なにそれを否定する。その確信はどこから来るのだろう。 数日後、母は「歯医者には絶対に行かない」と言い張った。理由を尋ねても、「必

【第13日】母と育む希望

この記事はマガジンを購入した人だけが読めます

【第4日】失われた笑顔を求めて

母が急に元気を失ったのは、今から約十年前、父が亡くなったときだった。私は数ヶ月や一年もすれば、母は元気を取り戻すだろうと考えていた。しかし、十年経った今でも、母は以前のような活力を見せない。 「母が元気がない」というのは、何かをしたいという意欲が減ってきたことを意味している。「どこかへ行きたい」や「遊びたい」という欲求はもちろん、「食べたい」という生きる基本的な欲求さえも薄れている。自然豊かな場所への旅行や買い物、美味しそうなレストランを提案しても、母の興味を引くことはでき

【第2日】ミルフィーユのような人生

時折、私は人生はミルフィーユのようだと感じる。何度も生まれ変わり、過去にやり残したことを新たな人生で紡いでいく。その層が重なり合い、深い味わいを生み出すように。 ふと、かつて自殺未遂をした日のことを思い出した。気がつくと、私は精神病院のベッドの上にいた。暴れていたため、手足を拘束されていた。目を開けると、母が静かに私を見守っていた。その瞳には深い悲しみと愛情が宿っていた。 ノーベル賞作家の大江健三郎さんも、同じようなことを語っている。病を乗り越えた彼は、「母がもう一度産ん