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消えゆく記憶と共に〜双極症の私と認知症の母の日記〜

私は双極性障害を抱え、母は認知症を患っている。病が進むにつれ、私たちは現実を見失い、自分が誰であるかもわからなくなる。そんな私たちは、まるで鏡に映る存在だ。全体と部分は見方の違い…
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#コミュニケーション

【第15日】言葉のバランスを求めて

今も昔も、母は話すことが大好きだ。私が子供の頃、家族の食卓では、ほとんど母が話していたと言っても過言ではない。父と弟と私が口を挟めるのは、わずかな時間だけだった。母の生き生きとした表情を眺めながら、私は静かに食事をしていた。 幼い私は、人前で話すのが苦手で、先生から発言を求められると頬が真っ赤になり、「りんご病」とあだ名された。何か素敵なことを言わなければと焦るあまり、言葉が出てこなかったのだ。母が楽しそうに話す姿を見て、自分もあのように話せたらと憧れていた。 しかし、一

【第13日】母と育む希望

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【第8日】消えゆく光の瞬間

昼下がりのオフィスで仕事に追われていると、携帯電話が静かに振動した。画面を見ると、母からの着信だ。普段、昼間は会議や業務で電話に出られないことが多いため、母には夜9時以降に連絡してほしいと伝えてある。だから、この時間帯の電話は何か緊急の用事があるに違いない。 急いで電話に出ると、母の少し沈んだ声が聞こえた。「スマホの右上の数字が19から18に減っていくの。どうしたらいいのかしら」と心配そうに言う。おそらくバッテリー残量のことだろう。私は充電ケーブルが正しく差し込まれていない

【第4日】失われた笑顔を求めて

母が急に元気を失ったのは、今から約十年前、父が亡くなったときだった。私は数ヶ月や一年もすれば、母は元気を取り戻すだろうと考えていた。しかし、十年経った今でも、母は以前のような活力を見せない。 「母が元気がない」というのは、何かをしたいという意欲が減ってきたことを意味している。「どこかへ行きたい」や「遊びたい」という欲求はもちろん、「食べたい」という生きる基本的な欲求さえも薄れている。自然豊かな場所への旅行や買い物、美味しそうなレストランを提案しても、母の興味を引くことはでき

【第3日】ハリネズミの叫び

私は双極性障害を抱えているが、ここ数年はうつ症状はなく、軽躁状態が続いている。軽躁状態のとき、時折、大声を出したくなる衝動に駆られる。実際に何度か大声を上げてしまったこともある。 今年の正月、私は母に対して思わず大声を出してしまった。しかし、その理由を思い出すことができない。母は驚き、涙を流しながら「家に帰りたい」と震えていた。その姿に胸が痛んだ。母は自分がどこにいるのか、時間の感覚さえも失っているようだった。最後には、私に土下座をして「帰らせてほしい」と懇願した。 この