memoria
どうして本当に大切なことは目に見えないんだろう。 どうして本当に大切なことは答えが書いてないんだろう。 本当に大切なこと。 それは、 人生を輝かせること。 大切な人を大切にすること。 人を思いやること。 人を愛すること。 心を震わせて生きること。 私が私らしく生きること。 私が私を信じること。 輝くとか、思うとか、愛とか、 信じるとか、「らしく」とか… 見よう見ようとすればするほど 霧がかり 掴もう掴もうとすればするほど スルリスルリと逃げてゆく。 だけど、私
たくさん我慢してきたことを、「自分にさせてあげる」「自分に許してあげる」っとゆーことを今、やってます♡ 同時に「本当にこんな日々で大丈夫か?」って不安になることもあるけど、、、きっと大丈夫♪ やり切ったら ますます、もっともっと 自分を愛せるようになるから✴︎
26年前、父の他界をキッカケに発症した[摂食障害]。長く長く、それは辛い日々でした。そして、覚悟を決めて[克服]へ向けて進み、今日[自分自身]に言ってあげました。「克服できたね」と...。YouTubeを始めて約2ヶ月半、こんな日がこんなに早く来るなんて思ってもみなかった‼︎それはそれは感動的な瞬間なのだろうと想像していたけれど、自然な流れの一部としてやってきました(笑)すべてに感謝...ありがとう✴︎
摂食障害を26年前に発症し、 やっとやっと やっとこさ [克服]へ 確実な前進をしていることを実感しています。 ここに至ったのはなぜか…⁇ それは、 どこかの誰かが決めた[克服]に向かっているのではなく 自分が感じる[克服]に向かって進んでいるからです。 偉い人が書いた文献のなどに、もしかしたら 『克服の定義』 とやらがあるのかもしれません。 んが、 私の場合は、私が 「よし、克服できた」 「うん、よくがんばったよね」 「ずっと見てたよ」 って納得で
父が他界し、確か…その1年後に死んだ愛犬『ラック』。この犬との出会いから死ぬまでの間、たくさんの思い出があります。 そう、 家族になった動物は、たくさんの思い出を残してくれる。 笑い話から涙がちょちょ切れる話まで…。 言葉を発しない生き物だからこそ こちらがたくさん想像し想いを汲み取る。 「動物に感情なんてあんの?」 「動物に想いなんてあんの?」 と思われる方… 「あると思います!」(←芸人:天津木村 風) はい。 そして、我が家の愛犬ラックのエピソードを思
最近、私が見ているYouTubeの1つに、 公式チャンネルで発信されている ローランドさんの動画があります。 意図的にカッコ良く振る舞ったり、 計算されているカッコ良さがあったり、 ユーモア混じりのカッコいいコメントがあったり、 それも計算されている言葉だったり…。 ま〜どれもステキ♡ その一方で、 何だか自然体な感じもあって、 カッコいいんだけどカッコつけてないこともある感じで、 ふとした一言が心を揺さぶってくる…。 その言葉はすごくシンプルなんだけど ローラ
たくさんの光が見えては消え たくさんの不安が出ては消え 宇宙から見た地球は とても豊かで美しい。 ある見方をすれば、それは、 闇、苦しみ、悲しみ、恐怖とネガティブなエネルギー けれど、 これがあって 幸せ、光、輝き、安らぎ、慈しみ、温もり、尊さなど 多くのプラスのエネルギーを感じることができている。 忘れてしまいやすいけれど…。 地球は、この2つを感じることができる 唯一の星。 心の豊かな星。 だからとても美しい。 今、地球は闇の部分が浮き彫りとなり、 恐れや
こんな今だからこそ...思い出される。 【東日本大震災のあの瞬間】 私は 「声が出なくなってしまった方」の 言語リハビリ中でした。 その方は90歳を目の前にした男性で、 リハビリ中にはいつも 『命』 『生きる』 『情熱』 などについて語って下さいました。 そのカスカスな声に、 心も耳も傾けて心を通わせる時間が、 簡単ではなかったけれど私は好きでした。 私達は被災し、ガスや水、電気が止まり 患者さんも職員もその家族も皆、 その日を生きるのに精一杯でした。 そこへ、
摂食障害の克服への道 失敗した分だけ強く 凹んだ分だけ強く前へ 「もう一度」 を 何度でも 「チャンス」 を 何度でも 自分にあげて また[克服への道]に 戻ればイイだけ。 そう、 何度でも 失敗し チャンスをあげて 強く前へ。 それができるようになったのは 自分を信じることが できるようになったから。 おやすみなさい★
私が摂食障害になった原因の一つに、切っても切り離せないものが【アル中の祖母がいた家庭で育った】ということがある。 摂食障害の克服に向けて進み始めた頃、幼少期を思い出せば出すほど私は、母への怒りが込み上げた。なぜか、祖母への怒りはほとんどなかった。 そして、大好きな母を苦しませたアル中の祖母のことを、心から嫌いになることもできなかった。 私は、学校から帰ると両親が営んでいた店の向かいにあるアル中祖母がいる家に行っていた。もともとは、私たちも暮らしていた家だったけれど、
私は生まれた時から、家にアル中の祖母が居た。後に聞いた話、祖母の飲酒は小学生の頃から始まっていたとか、大失恋した祖父が勢いでアル中の祖母と結婚し物凄く後悔したとか、3人目の妊娠を知った時「もう子供はいらない」と橋から川へ飛び込んだとか…。 飲んでは暴れ、飲んでは近所の人に迷惑をかけ、飲んでは「殺せ」「死んでやる」「化けて出てきてやる」だのと騒ぎ、私たちを苦しめた祖母の知らない過去もまた、何ともハードなものだった。 私の中で、アル中祖母の行動は、父…つまり祖母にと