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「アル中ばあちゃん」②

 私が摂食障害になった原因の一つに、切っても切り離せないものが【アル中の祖母がいた家庭で育った】ということがある。

摂食障害の克服に向けて進み始めた頃、幼少期を思い出せば出すほど私は、母への怒りが込み上げた。なぜか、祖母への怒りはほとんどなかった。

そして、大好きな母を苦しませたアル中の祖母のことを、心から嫌いになることもできなかった。

 私は、学校から帰ると両親が営んでいた店の向かいにあるアル中祖母がいる家に行っていた。もともとは、私たちも暮らしていた家だったけれど、あまりに祖母の行動が酷く、物理的に距離を取るために私が小学1年生の夏から近くの団地に住んでいた。お店で働くパートさんもこの団地に住んでいて、パートさんの仕事が終わると私も一緒に団地へ帰るというパターンだった。姉は、スポ少のバレーボール部に所属していたので帰りが遅く、私とそのパートさん2人で帰っていた。その時間まで私は、アル中ばあちゃんの所で時間を潰すことが多かった。

 この時を思い出すと…なんと、アル中ばあちゃんの『笑顔』がたくさん思い出された。

例えば、一緒に台所に並んで白玉団子を作ったり、祖母の漬けた白菜の漬物を盛り盛り食べて

「なんや、全部食べたんか」

と祖母を笑わせたり、一緒にカルタ取りをしたこともあった。カルタを読むのはアル中祖母、取るのは一応私とアル中祖母。だけど祖母は、わざと負けてくれた。

「お前は早いな〜」

とニコニコしながらカルタに付き合ってくれた。それから、アル中祖母は編み物が得意で、チョッキや巾着袋などを作って知人に売っていた。そのお金を祖母が作った小さな巾着袋に入れて、私にくれた。売れるたびに、

「なんぼ貯まったか数えてみい〜」

と言っては、一緒に小銭を分別して、それぞれの硬貨を重ねて

「ひ〜ふ〜み〜よ〜…」

と数えて

「大金や〜」

と私たちよりも喜んでいた。自分で稼いだお金を誰かにあげることに、何か価値を見出しているような、満足気な様子だった。学校から出された宿題を、祖母の家でやる時はこっそり答えを見て写すことができた。それから、アル中祖母が早朝に店に侵入して盗ってくる食品の中に、私にあげようとお菓子も持ってきていた。父も母もそのことは気付いていたけれど、何も言わなかった。そしてまた、私たちも店から盗んできた物だと知っていたけれど、美味しいお菓子を好きなだけ食べられる至福の時間が過ごせて満足だった。

そんな孫の様子を見て、アル中祖母もまた満足していたようだった。


幼少期から、夕方に祖母へ[おかず]を運ぶ私、学校帰り祖母の家に遊びに行くことがあった私、そう…アル中祖母にとって私は特別だったに違いなかった。

そしてまた、大人になり摂食障害という依存症になった私にとって、祖母がアルコール中毒になった原因やキッカケがとても興味深く、その心の孤独というものに触れてみたいと特別な思いをかんじていた。この想いは、母や姉に打ち明けることはできず今まで私1人で育ててきた気持ちだった。

今、摂食障害の克服に向けてたくさんのインナーチャイルドを癒し、たくさんの小さなの許しを自分に与えて着実に進んでいる。その中で私は、改めてインナーチャイルドの癒しに時間を当ててみた。

すると、小さい私の本当の気持ちはこうだった。

「ばあちゃんと一緒に笑っていたい」
「ばあちゃんも一緒に出かけて、家族みんなで笑いたい」
「ばあちゃんが笑ってて欲しい」

だから私は、その小さな私の願いを叶えてあげた。

リビングで場所を陣取るように座っている祖母を笑顔にさせて、一緒にテレビを見ながら一緒にご飯を食べて一緒に笑って、こっそりお菓子を2人で食べて笑いあって、祖母の手を引いて散歩して、日曜日は家族みんなで近くの児童公園に行って100円で動くパンダの乗り物に乗って、その100円は祖母の縫い物で得たお金を使って、家族みんなが笑っている、、、

そんな過去を仕上げた。

涙が止まらなかった。けれど、とても幸せな気持ちになった。そしてやっぱり、同じ依存症になった私だからこそ、アル中の祖母に寄り添いたい気持ちが確実なものとなった。

祖母が他界してもう何年になるだろう。正直、数えていないから分からない。仏様に手を合わせる時、最近の私の頭の中に浮かぶあのアル中祖母は、照れ笑いしている『ただのばあちゃん』となった。


今、私は

「ばあちゃん、なんでお酒に溺れたの?」
「ばあちゃん、小さいとき何があったの?」
「ばあちゃんのお父さんとお母さんはどんな人だったの?」
「ばあちゃん、もしアル中にならなかったら、何がしたかった?」

祖母を知りたい気持ち、寄り添いたい気持ち、支えたい気持ち、

「ばあちゃん、カルタ取りわざと負けてくれてありがとう」
「ばあちゃん、寂しい思いさせてごめんね」

祖母に「ありがとう」と「ごめんね」を伝えたい想いがある。


それはなぜか、

「ばあちゃん」は私だから。

「ばあちゃん」との思い出すべてが、私の一部だから。