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『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』を手にとって対話をしませんか?
梅澤さやかさんの『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』は8つの視点から「稽古」の魅力と効能を解説しています。8つの視点とは「師」「知性」「美意識」「道具」「健康」「コミュニケーション」「仕事」「精神性」です。
この本はどの章も大変興味深い内容で、読者側の興味や視点の切り口によって、読む場所の濃さが変わるというのが率直な感想です。具体的には本書を手に取っていただくとして、私が特に気になっている視点を列挙していきます。そして色々な人と『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』を手に取って対話をする機会を持ちたい。これが本noteの主旨です。
1. 「知っている」と思うと、学習プロセスは止まる
脳の性質を踏まえると、2つの重要な点が浮かび上がります。
1つ目は、常に新しい経験を通じて脳に適切な刺澈を与えることが大切だということです。これにより、脳の学習機能を活性化し続けることができます。
2つ目は、ただ単に新しい知識を詰め込めばよいというわけではないということです。脳は既存の知識体系との関わりの中で新しい情報を記憶し、処理するからです。
これはパラドックスです。たとえ多くの情報を入れて洗練された知識を持っていても、脳が「知っている」と見なしてしまうと、真の知性が働かなくなってしまうのです。つまり、さんの知識を持っていることが、かえって学習と成長の妨げになる可能性があるのです。
プロジェクトとプロジェクトマネジメントのパラドックス
先日以下のnoteを書きました。
プロジェクトマネジメントの領域では、不確実性と確実性、計画と適応、制約と創造性といった相反する要素が常に共存しています。このパラドックスは、プロジェクトの本質と、それを管理しようとするマネジメントアプローチの間に存在する根本的な矛盾を示しています。という内容です。
2つの共通点を整理すれば「知っている」という罠と不確実性
つまり脳が「知っている」と判断してしまうと、新たな学習が停滞するというのは、プロジェクトマネジメントにおける「確実性のパラドックス」と重なります。過去の成功体験や既存の知識に固執しすぎると、変化の兆候を見逃したり、柔軟な対応ができなくなったりするリスクがあります。
「プロジェクトとプロジェクトマネジメントのパラドックス」は探求しているテーマなので、克服に向けたアプローチを、『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』を手に取りながら、私と対話をしてくれる人がいたらいいなと思っています。
2. スマートフォンは「考えさせない道具」
スマートフォンやAIなど、即座に答えを提供する現代の道具は、たしかに生活を便利にしてくれます。しかし同時に、人間が様々な情報をまとめ上げて深く考える能力を弱めてしまう危険性もあります。いわば「考えさせない道具」として機能する可能性があるのです。ただし、この問題は道具自体が悪いわけではなく、私たち人間の道具との関わり方に原因があることにも注意する必要があります。
対して、伝統的な稽古で使われる道具は、「自分で考える力(感性)を育てるもの」として機能してきました。これからの時代、人々にとって重要なのは、このような道具との建設的な関わり方を意識的につくり出すことではないでしょうか。
私論ですが、AIとの付き合い方には4つのフェーズがあると考えています。
独立的探索フェーズ:これは、AIの力を借りずに、自分自身の力で課題や疑問に向き合う段階です。AIは、文章の推敲や辞書的な検索など、必要最低限のツールとしてのみ使用します。
思考拡張フェーズ:AIの力を借りて、多様な視点や情報を得ることで、思考の幅を広げる段階です。AIは、関連情報や文献、異なる意見などを提示してくれる頼もしいパートナーとなります。
共同思考フェーズ:AIとの対話を前提に、思考を深めていく段階です。AIは、単なる情報提供者ではなく、議論のパートナーとして、思考プロセスに深く関わってきます。
依存的思考フェーズ:AIが思考の中心となり、人間はAIの提示する情報や解釈を受け取るだけの状態です。
こちらも叩き台にしつつ、『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』を手に取りながら、例えば以下のテーマで私と対話をしてくれる人がいたらいいなと思っています。
現代社会における道具との関わり方を見つめ直し、主体的な思考力を育む方法を探る。
伝統的な稽古を参考に、AIやスマートフォンとの付き合い方について考える。
3. 重要なのは「稽古の階梯」を理解すること
初心者から熟練者まで、それぞれの学習段階に応じた神経ネットワークを最適化する「稽古の階梯」の仕組みを理解することが重要です。つまり、段階を経ることでメタ認知力を身につけながら、心と体を同期させて自由自在に技を使えるように上達していくプロセスです。各段階で直面する学習のパラドックスを超えて、体を通じた知性を育めるようにまとめています。
稽古では常にインプットとアウトプットの実践を繰り返します。この上達の段階は、日本文化では「守破離」という三段階で捉えられます。
「学び」の場をデザインする
コロナ前あたりまで、社内外で「プロジェクトリーダー」育成をやっていました。その時の内容をまとめたのが以下のnoteです。
『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』の1章:稽古と師、2章稽古と知性を読んで、6年前の考えをかなりアップデートできる気がしています。プロジェクトリーダーやプロジェクトマネージャー育成について、考えている人と『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』を手に取りながら、私と対話をしてくれる人がいたらいいなと思っています。
4. 感性は知識を超えたものを掴む
美の奥深さを感じとるプロセスにおいて、言語をベースにした知識が基盤となります。しかし、真の「感性」はその知識を超えたところに存在します。それは言い換えると、「楽茶碗」を鑑賞できる力ではなく、「よい茶碗とは何か」を考え、つくり出すことができる能力と言うことができます。
ここで言う「感性」とは、言語の制約を超えて世界を感じ取る能力のことを指します。この能力は、しばしば単なる感情と混同されがちですが、実際には高度に洗練された知性の一形態と言えるでしょう。
このような感性を磨くには、単なる知識の蓄積以上のものが必要です。それは、知識を基盤としつつも、常にその枠を押し広げようとする姿勢、そして言語化できない感覚にも注意を向ける心の柔軟性です。真の美意識とは、このような深い感性から生まれるものだと言えるでしょう。
私は言語化できない領域をデザインの力で越えられないか?と考えており、職種として「プロジェクトデザイナー」を名乗っています。また様々な「問い」を作ってnoteを中心に発信しています。
しかし本書を読んだ後の感想は、私のデザインの使い方は「知識」の領域を越えていません。知識は感性の土台となるけれど、真の感性はそこからさらに一歩踏み込んだところにある、という指摘に深く共感します。例えば「美意識」について、『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』を手に取りながら、私と対話をしてくれる人がいたらいいなと思っています。
まとめ
繰り返しますが、この本はどの章も大変興味深い内容で、読者側の興味や視点の切り口によって、読む場所の濃さが変わるというのが率直な感想です。
私が対話したいテーマは、以下の4つです。ぜひ色々な人と『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』を手に取って対話をする機会を持ちたい。
「知っている」と思うと、学習プロセスは止まる
スマートフォンは「考えさせない道具」
重要なのは「稽古の階梯」を理解すること
感性は知識を超えたものを掴む
そして、色々な人のテーマも聞きたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
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