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50代、セレモニーは「まだまだ生きろ」というメッセージ


皆さん、おはようございます。
今日は「50代、セレモニーは「まだまだ生きろ」というメッセージ」というテーマをストーリー調で綴ってみたいと思います。





いつもはlineなのに電話着信でわかった「何かの知らせ」



「まさか、何があったんだろう?」

ある日、普段はlineだけでやりとりをしている(皆そうだとは思うが)
学生時代の友人から着信が入った。

私は一瞬、ビクッとした。


(今は平日の午前中。彼女は仕事をしているはず。)

今は皆、ほとんどの近しい知人や親族、家族は、
lineでコミュニケーションを取るのがデフォルトになっていると思われる。

直接の着信は、ごくたまに仕事関係か、
良くわからない営業の電話だったりする。

もう電話要らなくね?ってやつである。


だからあえて珍しい人から直接電話に着信があるというだけで、
何かおかしいと察知してしまう自分がいる。


若かりし頃。
あの時代は、電話は黒電話が一家に一台の時代だ。

ある日、その時電話は家族が使っていた。
それを使うには、家族が話終わるまで待たなければならなかった。

しかし、今すぐに友達に電話をかけたかった私は、
十円玉を何十枚も巾着袋に入れて、

近くの菓子屋に設置されている公衆電話まで、
ドキドキワクワクしながら電話をかけに行った事が懐かしく蘇る。


それなのに、
電話っていつからこんなにもハードルが上がってしまったのだろう。



いつも通りの「おやすみ」が永遠の別れの言葉だったと


予感は的中した。

共通の友人の旦那様が急死したとのことだった。
急性心筋梗塞、享年52。

何でも、前日にいつもと変わらず、
「おやすみ」と言って床に着いたが、
朝には亡くなっていたとのことだった。


だよな、
そんな事でもなければわざわざ電話なんてしてこないよな・・・。

でもまさか、
ここまでの事ではないだろうと思っていた自分もいた。


旧友は過去の人ではなかった


通夜に駆け付けると、
大勢の弔問客の間に懐かしい同級生たちの顔があった。

何十年ぶりの再会である。


そして懐かしい思い出と共に、

当時の思い出したくなかった辛い思い出や、
傷ついた出来事までも一緒に思い浮かぶ。

そう、私にとって学生時代とは、忘れたい時間だった。
未熟だった頃の自分と向き合うのが怖かった。

それはもちろん彼らのせいではなく、
私自身の心の葛藤がそうさせているだけだ。

でもこんな時、
大人の世界はそういった子供じみた言い訳は通用しない。
さすがに社会的にそんな年齢ではない。


でもどこか、
今もあの頃の子供のままの自分が存在していることも、
こんな時だからか、気づいてしまった。


これまで、
昔の自分を捨てて、
新しい自分に変わりたいと思って努力してきた。


でも自分という人間は、
実はもう最初から出来上がっていたのではないか。

これまでの努力は無駄だったのか。

大勢でひしめき合って、
それぞれがそれぞれの役割をしっかり果たすべく、
忙しく動いている斎場の中で、

自分だけが宙に浮かび上がっているようだった。


それはちょっとした衝撃だった。


冠婚葬祭とは、人と人をつなぐもの



「元気か?」
一人の同級性が優しく声をかけてくれた。


「元気元気!覚えてた?えー嬉しい!
そっちは?何やってるの?
あれ?なんか身長伸びた?(笑)大人になったよね~(笑)」


人見知りな私は、
声をかけてもらった事が奇跡のように感じ、
とても嬉しかった。

だから相手を退屈させないよう、精一杯会話をした。


彼らは当時のまま変わっていないように見えた。
そしてどうやら私も、年相応だが面影はあるらしい。


なんとか精一杯会話をクリアした自分。
当時のまま、接してくれた同級生。

沸き上がる高揚感。
なんだか嬉しすぎる。

彼らの変わらぬ温かく優しい声かけが、
私の忘れたかった過去を優しく包み、

それらを忘れるべく、
そんな過去が詰まったボールを遠くに放ってくれたように思えた。


この出来事には一体どんな意味があるのか


まだまだ早すぎる友人の夫の死。

友人も悲しむというよりは、
まだまだ受け入れられていないように見え、
やるべきことをこなすだけで精一杯な様子だ。


そしてこの出来事が何を残してくれたかを考える。


私は介護の仕事をしている。
一度は引退したものの、

最近また、高齢者の方々と日々を共にしている。

しかし時間の経過とは残酷だ。

年を経れば経るほどできないことが増えていく。

そして、長く生きれば生きるほど、それらの確率は相対的に上がってくる。


大切な人の事も忘れてしまう事もある。
そんな、悲しすぎる。寂しすぎる。


あんなに毎日一緒にいたのに、忘れられちゃうなんて。


でもそうなった時、その記憶は二度と戻ってこない。



早すぎる死は、自分たちに「まだまだ生きろ」と訴えている



例えば、

もしも今から20年後にこの出来事があったとしたら、
私達は高齢者となっている。

そんな時、私達は友人を思い、
すぐにこの場に駆け付けることができただろうか?

もしかしたら記憶も薄らいでいるかも知れない。
もうその時にはいないメンバーもいるだろう。

今、この年代だからこそ、
体力もまだまだ十分あり、
翌日にはすぐに駆け付けることもできた。


まだまだできる事だらけだ。
そしてそこには見返りを求めない愛があることも、
気付かせてくれたと思う。

そう、痛みや悲しみとは、
生きている私たちに

それ以上の大きな気づきを与えてくれるものなのかもしれない。



そうだ、

きっと今回の出来事は、

「お前たち、まだまだできることは沢山あるぞ。
だから俺の分ももっと生きろ」
と言う、

故人の体を張った強いメッセージなんだ。

だから、命ある限りまだまだ生きるよ。
今を精一杯生きるよ。

故人のため、

過去を昇華できた同級生の皆のため。


そして自分のためにも。




この記事が皆さんのお役に立てれば嬉しく思います。

それでは皆さんの一日が素晴らしい一日でありますように。

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