生徒の「ありがとう」に私は喜べなかった③
③は少し題名とは脱線した話を記す
私は高校時代、金銭的な事情で塾には通っていなかった。大学受験も独学で挑んだ。学校の先生がとにかく嫌いだった私は参考書が唯一の先生だった。
とにかく効率の悪い勉強だ。分からないと参考書を調べ、参考書でも分からなければ自分で内容を理解するまで考えるしかない。誰かが助けてくれることもない。今思えば先生に聞けば数分で分かる内容を数時間、数日かけて理解していた。現代では考えられないくらいの燃費の悪さだ。
私は第一志望どころか第二志望も落ち、何とか滑り止めに一つ受かったので渋々その大学に進学した。
ただ卒業してから、私はこの大学に行けたことを誇らしいと思え、本当に良い大学だったと感じている。この話もいずれ別の記事で紹介したい。
入学後、塾講師を始めると私は周りの高学歴軍団に肩身が狭かった。地元ではエリートと呼ばれる大学の人間ばかりだ。私のような人間がこんなエリート軍団の輪の中にいていいのか…
そのような感情をしばらく抱いていた。
しばらく経ったある日、他の講師と話をした。
数学にしても物理にしても、彼は問題を解かせると私では比べることも恥ずかしいくらいのスピードで正解を導き出す。
しかしその問題の分野について話すと、
「その公式にそんな意味があったの!?」と驚かれた。
私も逆に驚いた。そして逆に質問をした。
「じゃあどうしてこの問題にその公式を使おうとしたの?」
するとこのように答えた。
「図や文章に出てくるワードから反射的にどの公式を使えば良いか覚えている。」
そういう彼は問題集の裏にある公式集を見て、全てまだ覚えている。と言った。
私は公式が定義として存在しているもの以外は覚えていない。内容を理解すれば自力で答えを出せるからだ。(その内容をふまえて公式ができあがるのでどちらにしても式として書くと同じ式になる)
彼に私の解き方を説明すると
「知らなかった。そのレベルで全分野を理解してるんですか?すごいですね。」
私は複雑な感情になった。まず素直に彼を尊敬した。内容を理解することなく、数多の公式を全て覚え、有名大学に入学できたという実績に対して感動すら覚えた。逆に内容を理解しなくても、公式さえ覚えれば有名大学に合格できるということに私の受験勉強が否定された気がして、虚しさを覚えた。
ただ私は、彼に対して「勝てる」と思った。何に対して勝てるのか分からない、決して彼を見下しているわけではない。抽象的な表現で非常に申し訳ないが、複雑な感情の上に生まれた気持ちが「勝てる」だった。
④に続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?