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生徒の「ありがとう」に私は喜べなかった④

題名の回収
大学院2年の時、私としても最後の定期テスト対策をする時期だった。私はいつものように、点数を取らせる最短距離で生徒に授業を行った。六年目になるとテストに出る問題が全て分かってしまう程の経験が積まれる。生徒の点数を上げることは年々容易くなっていった。
生徒は私の出した問題を必死に覚えた。彼は考えるのではなく、覚えることに必死になっている。思考力ではなく記憶力が鍛えられていった。

テストの結果が帰ってきた。素晴らしい点数だ。生徒は満面の笑みで言った。「先生のおかげです!ありがとうございました!」
私は、彼に本当の数学や物理の楽しさを伝えることができず、思考力を奪い、ただ辛いだけの暗記をさせ、将来役に立つのかどうかも分からない形式的な式を覚えさせただけだ。
私は微笑んだ。ただ沸き出る感情は「申し訳ない」の一つだ。

生徒の「ありがとう」に私は喜べなかった。

社員にも称賛され、時にはわざわざ親さんが出向きお礼を言われることもある。私は優秀な塾講師だったのかもしれない。ただ私は塾講師という立場に慣れることができなかった。

いい先生とはどういう先生なのか。私は社会人になった今でも、その答えに悩むときがある。不正解はあるかもしれないが正解のない問題である。

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