
歪んでも、なおそれを愛と呼ぶ 02
Before…
【四】
外見から想像していた以上に、全てが整頓された家だった。
居間の木製の大きなテーブルに資料を広げ、宗次が用意した座布団に座る。秀太も多少の情報しか持っておらず、ここまで詳しい資料を見るのは初めてである。刑事が説明を進める。
「被害者は青海薫・二十九歳。二年間県内の市立中学校で常勤講師として勤め、教員採用試験に合格。その後は教諭として別の勤務地へ移り、そこで勤務していました。講師二年目に努めた学校で、犯行に及んだ藤瀬陽と共に働いており、ここから交際が始まった模様です。」
「犯行に及んだ藤瀬陽も同じく二十九歳。彼は常勤講師を五年間。転々としながら各学校で勤務を続け、教員採用試験に合格して二年目です。犯行当日は青海薫の家で過ごしいていました。防犯カメラの映像を見るに、二人で夕飯を共にしようとしていたところだったと推測されます。そして午後十時三十六分、藤瀬陽本人から青海薫を絞殺したと通報が入り、青海薫は緊急搬送。藤瀬陽はその場で逮捕。現在も捜査を継続中ですが、青海家が一部情報を黙秘しており、捜査は難航しております。藤瀬陽はただ同じ言葉を繰り返すのみで情報は得られず。犯行当日、青海薫の家で何が起きたかは藪の中、です。」
宗次が煙草を吸い終え、眉間に皺を寄せながら書類の一枚に手を伸ばす。
「愛する人を殺めてしまった、殺してくれってか。死人に口なし。まさかそのまま死刑にしちまうつもりじゃねぇだろうな?」
慌てて刑事が話を繋ぐ。
「まさか。真相の解明が先決です。謎も多いですし……」
「この紙切れに書かれてることは、藤瀬に伝えてあるのか?」
次の煙草を咥えた宗次は、ひらりひらりと紙を踊らせる。
「いえ、それはまだ…。現在の藤瀬の状況では伝えたら余計何をするか分からないということで伝えておりません。伝えるべきでしょうか?」
マッチを擦って煙草に火を点けながら、宗次は煙と共に言葉を吐く。
「絶対に言うな。俺が前線に出てやるよ。条件をつけてな。おい若ぇの。お前は煙草吸うのか?」
突然話題を振られた秀太は、驚いて裏返った声で返事した。
「はいっ、吸います。すみません、びっくりしちゃって。」
「マッチで吸ったことは?」
「ありません。適当なライターで点けてます。」
強張った表情を崩し、柔らかい優しい表情で宗次が言葉を紡ぐ。
「そうかい、若いなやっぱり。吸っていいぞ、緊張しただろう。」
実際、秀太は移動中の車内とは打って変わって張り詰めた空気に緊張感を持たずにはいられなかった。どれくらい正座していただろうか。ズボンのポケットから煙草を出す時も、足の痺れとまだ緊張する指先に気付き、上手く取り出せなかった程である。
―この弥勒寺って人、何かオーラが違う。
何とか取り出した煙草を咥えた時、宗次がマッチを擦って火を灯した。一口目に、微かに燐の香りが混ざる。
「ありがとうございます、こんな若僧の為に。」
礼を言った秀太が二口目を吸い込むのと、宗次が次の言葉を発したのは同じタイミングだった。
「これで、今日からお前は俺の右腕だ。」
目をかっ開いて鳩が豆鉄砲を喰らったような表情の刑事と、にこやかに微笑む宗次、そして大きく吸い込んだ煙草を噎せる秀太。
【五】
「ヤニ吸いは、吸い込んだ瞬間に驚かされんのが一番効くんだよな。」
悪戯めいた笑みの宗次に、思わず大声で答えてしまった。
「げほ、うおっほ…。本当に効きます。やめて下さいよ、もう。」
ひらひらさせていた一枚の紙を受け取った。これは秀太も知らない情報だった。驚きつつも、煙草を吹かす秀太に、宗次は再度釘を差す。
「絶ッ対にこれは藤瀬には伏せとけ。ここぞって時がいつか来る。それまでは漏らすんじゃねぇ。」
微笑みを見せた宗次の顔に、もう笑顔は無い。出会った時と同じ、鬼面の形相で秀太を睨みつけている。
「承知しました。ところで、右腕ってのは…。」
「字面の通りだよ。俺のパートナーだ。お前は、何故看守になった、秀太よ。」
秀太は少なからず困惑を余儀なくされた。気付いたらなっていました、とは言い辛い。過去の自分の記憶を遡り、ピースを組み上げるにあたって非常に重要なパーツが発見された。
「ある小説です。それを読んで影響を受けたのは確かです。あとは…」
結局、言いたくなかった「気付いたらなれていた」という言葉を出すより他になかった。ふざけるな、と一喝を頂く覚悟していたが、それは杞憂に終わった。
「山辺、もう少しマシな答えは無いのか。」
寧ろ不機嫌そうなのは刑事の方だった。宗次が窘める。
「いいじゃねぇか、人生そんなもんだろうよ。秀太、明日は仕事か?」
「いえ、お休みを頂いております。今日は疲れるから、とこちらの刑事さんに言われて当番を変えてもらいました。」
微小の報復に、宗次が笑う。
「そりゃぁ隠居した悪漢のところに連行されるんだ、そう言われても仕方ねぇ。今晩付き合え。この先の駅前に夜九時集合だ。自分が一番気に入ってる服で来い。間違えても失礼だからってスーツか何かで来るんじゃねぇぞ。私服で来い。」
刑事は全て見透かされたような気がしたようで、正座の姿が少しばかり小さくなった。秀太は約束を了解し、刑事と共に弥勒寺家を後にした。
「お前が来てくれて助かった。あの人の重い腰を上げるのは本当に大変なんだ。全く、俺にも少し恥かかせようとしただろ?」
加熱式煙草を吸い込んで、水蒸気を吐きながら刑事は言う。秀太は紙巻煙草を吸いながら答える。
「そうなんすね。今晩色々聞いてみますよ。あの人、すげぇ人なんでしょ。恥かかせるつもりはなかったっすよ、ありのままを伝えただけです。それよか、若僧だからこそ得られるモンはあると思うんで。弥勒寺さんの右腕として頑張りますよ。」
蒸気と熱煙を窓から吹き出し、車は走る。
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