
歪んでも、なおそれを愛と呼ぶ 14
Before…
【十八】
突然の告白に、薫は大きく動揺したように思えました。そして店員を呼び、デザートをひとつ断り、代金を置いて深く会釈して場を去りました。当然です。私の突発的思考はその態度を受けて然るべきです。寧ろ優しい仕打ちでしょう。涙を零しながら食べたチョコレートケーキは味がよく分かりませんでした。
薫のいない同じ職場で講師三年目を迎えました。仕事っぷりは多少評価されるようになり、退勤時間も早くなりました。しかし、自宅で独り味わうのは大勢の孤独でした。三月三十一日を悔やんで悔やんで仕方無いのです。あの時衝動的に告白なんてしなければ。もっと時間を掛けて関係をより強固に築いていれば。自分で蒔いた後悔の種が芽生え始め、すくすくと育っていくのです。
八月の盆休みに、ひとつ事件がありました。私の職場でひとつ下の講師の後輩も、もう一年継続で、と共に遣ってくれていたのですが、その盟友が通過する貨物列車に飛び込んで自死したのです。
高速で通過する貨物列車は、彼を一番遠いホームの端にある柵に叩きつけたそうです。即死だった、とニュースで見た記憶があります。彼もまた、何かを抱え続けていたのでしょうか。轢死した彼に問うことはできません。
その一件は、職場内に大きなさざ波を残しました。私も含めて、一人分の仕事をスタッフで手分けしていくしかありません。生徒や保護者からの問い合わせも殺到し、ベテランの職員が一人長期の休職に入りました。私の周りで芽生えた孤独の双葉は、遂に醜く美しい華を咲かせました。
その一件のほとぼりが冷め、業務内容も前期を終えて落ち着きだした十一月の或る金曜日の夜でした。残業が八時半を回った頃、携帯電話が一度振動しました。とても懐かしい、待ち焦がれた人物からの連絡でした。薫からです。
ご無沙汰しております。これから会えませんでしょうか。
私は了承し、キリの良いところで残業を終え、最後に会ったファミリーレストランで二人落ち合いました。薫はやつれていました。痩せた、というよりも、やつれた。そんな表情で、再会の手を振っていました。
食事を終え、話を聞くと、採用された勤務地で数名の上司と息が合わず苦労しているようでした。一週間仕事に行っておらず、まともな食事も久々だと、薫は切ない話を続けるのです。話が終わる頃にはしとしと涙を流していました。私ももらい泣き、というのでしょうかね。涙が出るのです。一度愛した人の涙が、満開の孤独の花に更なる養分を与えようと涙を流すのです。
「何故、藤瀬先生が泣くのですか?」
「解りません。しかし、とても悲しいのは事実です。」
「どうして悲しいの?」
「似たような経験があるからか、もしくは僕が脆いからでしょうか。」
食事が届き、互いに声を発さずに摂り始めました。暫しの静寂の後、声を発したのは薫でした。
「デザートを、頼みませんか。」
互いに涙は止まり、甘味を味わいました。前回一人で食べたチョコレートケーキは、とても優しい味に思えました。その優しさに、哀愁の記憶が引っ張り出され、私はまた静かに泣いたのでした。
会計を済ませた後、薫から翌日の予定を尋ねられました。
「藤瀬先生、明日の予定は?」
「午後から部活動の指導が入っています。それ以外は、特に何もありません。どうしてですか?」
「私の家にいて欲しいの。寂しくて。」
突然の依頼に、私の心臓は一度飛び跳ね、直後に巨人に握られたような苦しさを覚えました。
「いいですけど、泊まる準備をさせて下さい。明日の用意もありますし、一度帰ってからなら。」
「ありがとう、藤瀬先生。私の家、ここからすぐそこだから歩いてきたの。良かったら、車にも同席させて。」
「断る理由なんて、ありませんよ。」
薫を乗せて一度帰宅し、私の住処で少し待ってもらいました。シャワーを浴び、翌日の部活動で使う道具類を鞄に詰め、薫の家へ向かいました。
「殺風景な家ね。」
「特に趣味とか、ありませんから。」
必要最低限の生活道具と弟の影響で読み始めた本しか無い私の家を見て、薫が去り際に言い残しました。
薫の家は、私の職場と家の丁度中間付近にありました。薫の家は整然としていましたが、所々に整理し切れず物が置き去りにされて、それがまた薫の余裕の無さを表しているような様子でした。
「ごめんなさい、招いておいて散らかってるよね。」
「いや、謝ることではありませんよ。」
薫は二十分程かけて散らかった物を在るべき場所に戻し、暖かい紅茶を淹れてくれました。二人紅茶を流し、再び沈黙が訪れました。私は人付き合いがやはり苦手で、当時の薫とも緊張しながら話していましたので、私から何を話題としていいのか思いつかなかったのです。
日付を跨ぎ、土曜日が訪れた瞬間のことでした。薫が紅茶を飲み干し、私の眼を凛々しい眼で見つめて沈黙を破りました。
「半年以上前の話だけど、答えないまま帰っちゃってごめんなさい。今もし藤瀬先生が、いや、陽さんが受け入れてくれるなら、イエスと返事をさせて下さい。」
咲き誇っていた孤独の華は、薫の言葉で美しく散りました。
「ありがとうございます。よろしく、お願いします。」
喜びの涙を流しながら、私はこう答えました。直後、私と同じように涙を流し始めた薫から、温かい抱擁を頂きました。
「どうして、貴方が泣くのですか?」
「分からない。でも、食事の時とは違う気分なの。よろしくね。」
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