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歪んでも、なおそれを愛と呼ぶ 05

Before…

【九】

 屋台で依頼された仕事を、秀太は早速行動に移した。まずは秀太を連れ出した刑事と連絡を取り、午後十時に街外れの人気が無い酒場で合流した。
 そこも聞いてみると宗次の息がかかった店らしく、二人が入店してから店は閉め切られた。他に人の気配は無い。宗次から渡された紙を渡し、内容を説明した。
「成程ね、確かに操作は藤瀬の方に軸を置いて進めている。青海については家宅捜索と家族、職場への聞き込みはしたがそこで打ち止めだ。如何せん藤瀬があのザマじゃあな。了解、この赤伴があるなら動かざるを得ないし。」
「よろしくお願いします。ところで刑事さん、今更なんですけど一ついいっすか?」
「何だ?」
「名前、聞いといていいっすか?こないだ聞きそびれたもんで。」
「そうだったか。俺は中井。お前は山辺秀太、だったな?」
「はい。今後も世話になると思うんで、よろしくお願いします。」
 中井はくすっと笑って焼き鳥を食べ、ハイボールをぐっと飲む。
「随分畏まってるじゃないか。こないだは態度悪かったくせに。」
 秀太は唐揚げをひとつ食べ、烏龍茶を飲む。
「山辺は飲まないのか?」
「明日は初仕事なんで、抜いとこうかと。」
「そうか。いい心掛けだ。」

 秀太は烏龍茶を飲んだ後、ひとつ問いかける。
「中井さんは、宗次さんとどんな関係なんですか?」
 中井は首を傾け、間を置いて答えた。
「元・右腕かな。弥勒寺さんがあんまり鋭い上に表に出てこないから、俺の手柄ってことになって引き抜かれた。元は山辺と同じ看守だ。」
「そっすか。んじゃ元は皆同業者なんですね。」
「そうだ。あの人はおっかねぇけど、物事を見抜く力はすげぇぞ。あと人心掌握術にとても長けてる。あの人がいなかったら、悪人の代わりに罰を受ける奴が相当増えたはずだ。あの人の異名、知ってるか?」
「会って数日の俺が知ってるとでも?」
「そうだよな。『鬼仏の弥勒』の異名を持ってたんだ。鬼と仏の両面を持ってる人だった。時代に流される前、あの人が三十から四十くらいの時は相当凄かったらしい。俺が看守になって少しした頃、丁度三十の時だな。山辺みたく右腕になった。丸くなったってもっぱらの噂だったけれど、これで丸くなったのか、って思ったね。物は蹴り飛ばすわ怒号は飛ぶわ、ただその鞭の後の飴の使い方が凄く上手いんだ。全盛期は想像にも及ばないよ。」

 ツマミが無くなった頃、店主が出汁巻き卵を持ってきた。中井と歳はそこまで変わらないように見える。
「中井さん、お久しぶりです。話の流れ的に、この辺でぼちぼち挨拶来ようと思って。あの節はとてもお世話になりました。」
「あれは弥勒寺さんの指示で動いただけだよ。近々あの人ともここ来るからさ、そん時にお礼でも言いなよ。」
「分かりました。この若い子は、新しい代の鬼と仏、になるんですかね?」
 秀太を見つめるその瞳には優しさがあった。何故か少し照れ臭くなるような、ほっこりする期待の眼差し。
「鬼でも仏でもないですし、なれる自信も無いっす。でも、あの人は何か違うなって思って、ひと口乗ってみることにしました。」
 あっはは、と笑いながら大根おろしを持ってきて、店主が話を続ける。
「頼むぜ、若いの。実は俺、昔まだ学生の頃に人殺しやっちってな。わざとじゃなかったんっだ。仲間が口論から殴り合いになった時に、止めに入ったらたまたま持ってたペンが一人の喉に刺さっちまって、それが致命傷になって死んじまったんだ。俺が殺したようなもんだって言って出頭した。口喧嘩してた相手も俺の所為にしてさ。でも鬼と仏の異名は伊達じゃなかった。全ての真実を暴いたんだ。俺にも口論の相手にも、容赦無く何でもやった。殴る蹴るなんて優しく思えたよ。チャカ向けられた時は流石に根負けした。この人なら撃ちかねない、って思ったからさ。」

 出汁巻き卵の上に大根おろしを乗せ、醤油をかける。醤油が血に見えた気がして、秀太は箸が進まなかった。中井は平気で食べている。これが若僧とベテランの違いなのだろうか、なんて考えが脳裏を過る。
「お前なぁ、流石に一応メシ食ってんだからさ。俺は慣れっこだけどよ。」
「ごめんね、秀太君、だったかな。これ自慢の逸品なんだ。サービスだからさ、とりあえず食べてみてよ。」
「は、はい…」
 一口、大根おろしが乗っていない部分を箸で刻んで食べる。優しい出汁の味によく合う温かさ。大根おろしと醤油の部分にも手を伸ばす。塩気が出汁と相性抜群である。
「山辺、気に入ったみたいだな。こいつも刑期短くなって、弥勒寺さんの知り合いの店で修行して自分の店出したばっかりなんだぜ。大したもんだよ。」

 会計は中井が済ませ、外に出た。家路の途中で、中井は秀太にひとつアドバイスをした。
「山辺よ、もししんどくなったら遠慮せず降りろ。弥勒寺流は時代錯誤だ。俺はあの人の凄さを知って着いて行きたかったが、そうもいかなくなった。時代の流れは残酷だ。」
「今んとこ降りるつもりは無いですけど、何故今になってそれを?」
「弥勒寺さんが隠居する決定打になったのが、さっきの店主の事件だ。真犯人が分かって事件の謎は全て晴れた。ただ、元号が変わって銃の誤射や威嚇射撃すら大事になってでかでかと報道される時代になった。そもそもあの事件は、あの店主が若い頃の話だ。止めに入って、殴り合ってる時にそのペン目掛けて一人が頭掴んで振り落としたのが死因だったんだ。店主はああ言ってたけど、刺したってより刺させたって感じだった。そん時に真犯人というかその口論になった相手がムショ入る間際に、取り調べでチャカ向けられたことをSNSでばら撒いて、大炎上したんだ。弥勒寺さんは事実だと認めて頭を下げた。そして前線から引いて、時代に流される奴等で勝手にやれよ、って言い残して隠居した。残念で仕方無いよ。」

 中井が寂しそうに加熱式煙草の水蒸気を空に吐く。紙煙草と違って、水蒸気は太い煙を吐いてもすぐに空気中に溶けて消えてしまう。秀太も紙煙草を吸い込みながら、次世代の弥勒菩薩になれるのかな、なんてことを考えつつ紫煙を吐いた。

Next…


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