群衆哀歌 23
Before…
【零-俺 壱】
俺の家は決して貧乏では無かったが、特別裕福な訳でも無い、所謂「普通」の家族だった。一人息子の俺が生きていけるようにと、親父からは幼い頃から空手を習わされた。部活は中学から強制で柔道部。空手は自分でも好きになっていたので町道場の方で週一回続けた。高校三年、柔道部で区内大会上位の賞状を貰い、柔道部の引退と共に町道場も引退して、武道とお別れをした。
高校時代からは、部活の無い日に許可を得てバイトをしていた。これは俺の意思だった。金は絶対に持っていれば武器になる、と思っていた。親には学費と定期代、携帯代は出してもらっていたので、それで十分だった。
中学卒業までは周りの友人より少し少ない小遣いとお年玉をやり繰りして、程良く貯金もしながら遊んでいた。だけど、昔から親父は酔う度に「手前の遊ぶ金ぐれぇ、手前で何とかしてみろや」と俺に言いつけてきた。正月にお年玉を渡しながら素面で言ってきたこともあったっけか。その度に母親が「この歳じゃ無理でしょ。家事も手伝ってくれてるしいいじゃない。まぁ、勉強は中の下だけど。」と少しだけ棘のある助け舟を出してくれてたっけか。そういえば、許可貰うのにあの作業着ばっかり着てる親父がスーツ着て校長に頼み込んでたっけ。
元々いつも一緒にいる奴らとも人間関係は希薄だった。たまに誘われて遊びに行く、程度。部活とバイトで忙しかったし、柔道部に同級生はいなかった。クラスメイトの優しい奴が何人か声掛けてくれることもあったから、人間関係で困ることは無かった。ただ、結局中学も高校も卒業してから連絡取り合う奴は一人二人だったな。
勉強はできない訳では無かったが、秀でている訳でも無かった。大体どの教科も五十点程度。そこを何とか六十点まで伸ばして、指定校推薦で大学を決めた。家からそこまで離れていなくて、レベルも俺がついて行ける程度の大学。このまま、無難に勉強してバイトして金作って、無難に就職して生きていくとずっと思っていた。
【零-俺 弐】
大学に入学してからも、人間関係の作り方は大体同じだった。最初に声を掛けてきたのは、初めてのガイダンスで席が前だった山本。互いに挨拶を交わし、山本が率先して色々な奴に声掛けて、同学部でウマが合う奴ら数人のグループができた。
俺はあまり集まりに顔を出せなかったが、グループの奴らはいい奴らだった。家の事情を話すと、皆納得してくれた。あんまり小遣いも無くて、基本自分のバイト代でやり繰りするしかないこと、そのバイトの為に時間を費やさなければならないので集まりもそこまで参加できないこと、その他全てを受け入れてくれた。このいい奴らは、せめてこの四年間は共に過ごしたかった。時折バイトのシフトを調整して集まり参加して、俺なりに楽しい時間を過ごしてきた。
五月の連休には旅行に行った。珍しく親父が「土産買って来い」って一万円出してくれたっけ。一泊二日で、意外と俺も含めて皆真面目で酒を飲もうって言い出すのがいなかったな。普通に特急列車で少し遠出して、ハイキングしてコンビニのおにぎり食って、夜は旅館で温泉入ってジュースとお菓子で笑い合って過ごした。メンツの一人が片想いしてて、皆で応援してやろうってなったっけな。いい思い出だよ。
テスト勉強も協力して、夏前の定期考査は何とか全員単位貰って夏休みに入れた。その頃から髪の色変えたりピアス開けたり、いかにも都会の大学生って感じのが増えてきたっけ。大丈夫かよ、なんて言ってたけど結果オーライ。んでテスト終わった記念に、夏休み入った初日に「飲み行こう」って話が出た。全員賛成だった。俺もね。楽しそうだったし、親戚集まった時に親父に何度か飲まされたこともあったから。
わざと飲み屋街うろついて、客引きに連れてってもらってありふれたチェーン店の居酒屋に入って乾杯した。関門を突破した俺達を縛るものは何も無かった。メンツも五月より少し増えて、乱痴気騒ぎの宴が開かれた。店員から注意されるくらい大騒ぎした。笑い合い、愚痴を垂れ合ってくだを撒き、注意されてからはしんみりと恋の話に花を咲かせ、誰と誰が付き合ったとか、フラれたとか、そんな話でしっとり飲んだ。
飲み放題が終わって会計を済ませたが、宴が終わる空気では無かった。俺も軽く酔っていて、羽目を外すなら今日だって思ってバイトは休みにしていた。一人暮らしで結構広い賃貸に住んでいる奴が「うちで二次会しようぜ、全員泊められっから。雑魚寝だけどな。」って笑いながら言い出して、行ける六人で泊まって二次会しようってなった。
そいつんちは少し遠かったが、朝早めに出れば翌昼には帰れる程度の距離だった。乗り換えも、快速列車に乗れれば一本で済む。酒とツマミは現地調達ってことで、喜び勇んで電車に乗り込んだ。
乗り換えた下りの快速列車は混んでいたが、徐々に人がまばらになってきた。あと数駅で到着する頃には六人全員が座っていた。あと三駅というところで、猛烈に腹が痛くなった。飲み過ぎて腹を下してしまったようだった。
「すまん、便所行ってくる!」
だが列車の便所には先客がいた。次の駅に着いた時、「次の列車で追っかけるから先に行っててくれ!」と言い残して列車から降りた。連れの家の住所は駅から近く、住所を送って貰った。降りた駅は無人駅で、時間が時間だったので人気は無い。
ホームの片隅に蛾が集う電灯があり、そこが便所だった。一瞬嫌気がしたが、生理現象には叶わない。意を決して足を踏み入れ、ひとつだけある個室の鍵を閉めた。一室が無駄に広くて、ボロくて、虫の死骸が転がった薄汚い空間だった。用を済ませ、個室の隅にある洗面台で手を洗う。洗剤は空だった。手を拭き、鍵を開けながら携帯を開いて電車を調べる。電車はあと二本ある。大丈夫だ。
個室から出ようと扉を開いた時、誰もいなかったホームに、倒れている人影を見た。
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