
歪んでも、なおそれを愛と呼ぶ 15
Before…
【十九】
様々な涙が流れ続けましたが、こうして私と薫との交際は始まりました。
交際、という経験は今迄経験したことがありませんでしたので、私は何をすればよいか分かりませんでしたが、そこは薫が優しくエスコートしてくれました。私もまた、何かの記念になる日にはちょっとした贈り物をプレゼントし、薫もまた素敵なものを返してくれました。
場所は違えど、同じ職業に就いていることも私達の仲を深めるのに一役買ってくれました。時に仕事の素晴らしいところを、時には苛立つところを、また時には辛いところを互いに共有し合い、様々な関門を乗り越えてゆきました。
私達は、互いの家で一緒に過ごすことが多くなりました。主に薫の家でしたね。互いに賃貸のアパートの一室でしたが、薫の家が自宅よりも職場から近いこともあり、遅くまで残業することになった日は薫の家で過ごし、週末や祝日は遠出をする為に私の家に薫を招きました。
互いに自炊をしていたので、料理は上手でした。私も料理はあらかたできたのですが、薫の上手さには感嘆しました。心が安らぐ美味い料理を作ってくれて、少しずつ私は他者との接し方を学び、育んでいきました。
交際中、喧嘩や口論は一切ありませんでした。不思議なことです。まぁ、私は文句を言うことがまず無理難題の一角で、薫もまた私に合わせてくれたからこそでしょう。互いの家のご近所さんともよく挨拶を交わし、「若い子同士じゃ大変でしょう」と言って、お米や料理をお裾分け頂いたこともあります。心優しい方々へ、そしてその挨拶をできるように私を育ててくれた薫へは、感謝してもしきれません。
私はその後職場を転々としました。様々な人達と交流し、自分の弱点の克服に全身全霊を捧げました。相変わらず不器用な仕事っぷりでしたが、薫という最愛の存在が折れそうな私を支えてくれました。薫もまた、教諭になると大変よ、と言いながら私に寄りかかってくれました。ひとつひとつはアンバランスなものでしたが、互いに支えることで上手にバランスを取っていたのでしょう。
薫は、強靭に見えて脆い存在だったのです。年に一度、彼女のエネルギーが尽きてしまうことがありました。その時は、私が薫の家に連泊し、彼女のエネルギーを充填していました。これは薫から直接言われたことですので、胸を張って彼女に尽くしたと言えます。
長くても二週間の時間があれば、彼女は充電完了し、再起して職場に戻って存分に活躍していたと耳にしております。薫の職場とは、薫を縁として担当する部活動の顧問の先生と連絡を取り合い、よく練習試合や合同練習をしたものです。年ごとに別の職場で別の部活動を担当しましたが、どれも運動部でした。毎年別の先生と話をしながら、時には「青海先生の彼氏さんなんでしょう」なんてからかわれたりもしましたが、各先生から見た薫の評価はどれも良い評価でした。「青海先生を支えてあげてね」といったニュアンスの言葉を毎年お話されました。やはり職場でも、薫の脆い部分が少しずつ露見していったのでしょう。
そして四度目の講師を経験した後、私は遂に採用試験に合格することができました。各職場で勇気をもって自分の苦手な対話に対応して下さった先生方と、薫の職場の管理職の先生方から私達の関係をご理解頂いて面接練習を手伝ってもらい、練習を重ね続けた結果でした。随分と時間を要しましたが、やっと薫と同じ立場へ上ることができました。
一年目は、あまり苦労は無かったと記憶しております。新規採用ということで、四度の講師を経験しましたが、立場が変わり実質一年目となったので、先生方が手厚く私を守って下さったからです。職務も特別重いものは無く、初めて担当する業務には経験豊富な先生が指揮を執って下さり、学びながら仕事を遂行していきました。
その一方で、薫からかつて言われた「教諭になると大変だ」というものも痛感していたのは事実です。毎月研修があり、その為のレポートを作成し、それを発表し合うものがありました。大方克服されていたものの、相変わらず初めて話す人とは極大な緊張を抱えて話しました。しかし、同期の先生方は自分より若い先生が多く、私の欠点を解って頂けたのは幸いでした。
また、自分より若い先生が職場にいましたので、その先生方を支えるのも隠れた仕事の一環でした。最初は私も戸惑いましたが、特にこの業界一年目の先生は理想と大きく乖離した現実もあったようで、その点は非常に共感できました。自分の経験を語り、「僕でも何とかここまで辿り着けたから、力になれることがあったら話してね」と言って若手を支えることにも尽力しました。
その頃、薫との関係はより親密に、深密になっていきました。私が教諭になったことを誰よりも喜んでくれたのは薫でした。私が流さなかった喜びの涙を流してくれたのは彼女でした。合格祝いに振る舞ってくれた豪勢な料理、そしてホイップケーキは今迄食してきたどの料理よりも美味で、幸福の絶頂を感じさせてくれました。
苦労と喜びを共有し続ける日々を送り、一人間として大きく成長した一年が過ぎ、そして遂に二年目、私を最も苦しめた難題が起きた二年目がやってきたのです。
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