
歪んでも、なおそれを愛と呼ぶ 07
Before…
【十一】
翌日も秀太は陽の監視を任されたが、声を掛けても何一つ返事は無かった。蝉の抜殻に向かって話し掛けているような心地だった。自死こそ諦めたものの、昼飯のスープすら手に付けなかったのもまた初であった。このまま餓死されては誰も報われぬまま迷宮の奥底へ真実が隠れてしまう。一看守ではあるが、秀太にも事件の真相を知りたいという力強い思いが芽生えていた。
夜九時、例のおでん屋台で宗次と落ち合った。秀太はここ二日間の陽の状況を伝えた。宗次はよくやった、と一言告げて分厚いファイルを手渡し、開いた手でビールを飲み干す。
「全部読んでたら夜が明けちまうから、付箋貼って蛍光引っ張ってるところ確認しろ。」
秀太も片手にビールをくるくるしながら、付箋がある場所を一通り確認した。付箋の貼ってある部分は、過去の青海薫の出退勤の様子であった。そして、採用試験に合格してから年に一から二度、一週間近く欠勤している事実が蛍光色で照らされていた。
欠勤理由は様々だった。胃痛、頭痛、吐き気、風邪症状、感染症対策の検査…。時期にばらつきはあれど、長い時で二週間の欠勤が見られた。
「お前はこれをどう見る、秀太よ。」
目があったら瞼に切り傷が入りそうな鋭い目で宗次が問い掛ける。
「心理学中心に学んできた若僧の考えですけど、多分感染症対策の検査は事実だと思います。その前後に部活動の引率もしていますし、何かあったとしても不自然では無いです。でも、他が妙に怪しいですね。十一月、七月、二月、一月、七月…。」
出汁の染み込んだちくわを噛みながら、秀太は思考を巡らせる。藤瀬より早く教諭になった青海薫、五日から十日欠勤した後は通常通り勤務している。蛍光色に染まっていない部分に、管理職とのやり取りが記されている。
問:青海先生が年に一度、長期的な欠勤をしている事実についてどのようにお考えですか?
―我々も三年目からはまたか、と思いましたがね。しかし彼女の勤務態度は非常に良好で、年度を重ねて徐々に増す業務も穴を空けながらきっちりこなしていました。時間外労働も、四十五時間は超えていましたが七十時間を超えた月はありません。青海先生が持ち帰って業務をしていたとすれば、その辺りは知る由もありませんが…。青海先生は持ち帰り業務に対する調査に対しても「行っていない」と答えています。これが嘘であれば仕方がありませんが…。とにかく、彼女の勤務姿勢から見て疲労が溜まり切ってしまった時にエネルギー充填の為に欠勤していたのでしょう。その際に青海先生が入る授業の穴埋めも、二年目からは填補をしっかりいれていましたし。
問:青海先生と生徒、または保護者とのトラブルはありましたか?
―我々の確認する限りありませんでした。担任を任せていましたが、学級経営も素晴らしく、保護者からも良い声ばかり聞こえてきましたよ。
クエスチョン・マークが頭一杯になってしまったので、ぐいっとビールを煽った。少し温くなっていた。宗次は茹で卵を二つに割っていた。割った半分をよく噛み締め、ビールを飲み干して次の瓶を開ける。
「青海は仕事ができる女だった。家での様子は知らねぇが、そこは藤瀬から多少漁れる。揺さ振りは効いてるはずだ。効いてなければお前の一言で自殺しようとしただろうよ。藤瀬にも僅かな希望の糸が垂れてきた訳だ。だが掴むかどうかは本人の問題だ。俺は引き続き前線の影になって事実を漁る。秀太、お前はお前のやり方で、想像空想妄想何でもいい、事実をもとに藤瀬を揺らせ。安楽椅子みたく心地良くさせろ。寝言でも逃すなよ。」
そう言い終えてもう片割れの卵を食べた。黄身の破片一つ残さずに食べている。器用なものだ、と感心する。秀太も挑戦してみたが、黄身がぼろぼろ崩れてしまった。
「まだまだ慣れないっすね。明日は休みで、明後日から三日間。そこで何が見えてくるか、ですね。実際、青海も救われるってのはまさに飯食ってる時の閃きとしか言えませんでした。宗次さんのやれねぇこともやれ、って意味が分かった気がしますよ。普段の俺だったら、変に刺激するようなことは言えませんもん。大将、大根とはんぺん、こんにゃくとビールのおかわりお願いします。」
にこっと微笑む大将。率直な疑問が飛び出したのは、酔いのせいだろうか。
「宗次さんは、何人ぐらい救ったんですか?こないだ中井さんと行った店でも宗次さんに救われた人がいましたよ。」
宗次は舌打ちを鳴らしてマッチで煙草に火を点けた。苛立ちを隠そうともせず、ぶっきらぼうに返事を投げつける。
「知らねぇよ、そんなの。数えんのも面倒くせぇ。それにな、」
白煙を思いっ切り吐き、言葉を続ける。
「俺が救ったってことは、本来だったら助かったはずの奴が代わりに罰を受けてるってことなんだよ。死刑になった奴だっている。救われた方にとっては仏でも、暴かれた方からすりゃ俺は鬼畜そのものだ。真実がどうであれ、暴かれなければそれが偽の真実で、助けた奴はいるかもしれねぇけど、同じかそれ以上の奴等を地獄に容赦なく蹴り落としてきたんだ。褒められることは多かったさ。それでも、蹴落とした連中が夢ン中で怨み辛みを吐き散らす。毎回自業自得だって蹴り飛ばすけどよ、そういうもんなんだぜ。」
秀太も煙草に火を点け、煙を燻らせてこんにゃくを齧る。柔らかく弾力のある食感。今回の事件でもし藤瀬を救ったとして、そうなると代わりに獄門磔になるのは誰なのだろう、と気味悪い思いが浮かんでしまった。煙草の煙と一緒に吐き捨て、徐々に温くなるビールをゆっくりと飲んだ。
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