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歪んでも、なおそれを愛と呼ぶ 08

Before…

【十二】

 宗次の言葉を悶々と引きずりながら休日を終え、三日間の連勤が始まった。未だに秀太は「救われた方にとっては仏でも、暴かれた方からすりゃ俺は鬼畜そのものだ」という言葉が脳裏から離れない。

 鬼仏の宗次は数々の難事件を解き明かし、真犯人に罰を、冤罪を受けた者に救いの手を差し伸べてきたという。真犯人は罰を受けて然るべきだが、罰を逃れられた可能性のある人間を地獄に蹴り落としたことに未練はあるのだろうか。或いは、地獄を望んだ人間を、真実を明かしたが故に地獄へ蹴り落としたのだろうか。

 三十にも満たない若僧に、二倍以上の時を歩んだ者の思考の奥深くまで知れる訳が無い。
 出勤すると、看守長と中井が話しているところだった。礼儀正しく挨拶をすると、中井がからかった。
「おはよう山辺。こないだはどうも。流石に看守長の前だと礼儀正しいね、いいことだ。」
 秀太は身体がむず痒くなるのを感じながら答える。
「いつもこんな感じっすよ。こちらこそ先日はお世話になりました。捜査の方は、何か手掛かりはありましたか?」
 中井の眉間に皺が寄る。この時点で聞くまでも無さそうだが、返事は返ってきた。
「難航、だね。実は青海の私物のパソコンが発見されたんだが、複雑なパスコードがそこかしこに仕掛けてあってね。見つけるのさえ苦労したのに。青海の部屋の机に仕掛けがあって、引き出しが二段構造になっていたんだ。データの方もこじ開けてはいるんだけど、一つ覗くのも時間がかかって一苦労だ。仕事抱えて帰ってからやってた様子は多少あるね。あとは、山辺が藤瀬から上手く引っ張り出してくれるといいんだけどねぇ。あいつは絶対に何か知ってるはずなんだ。」
 看守長が口を挟む。
「あの状態の藤瀬から引っ張り出せますかね。食事すらまともに取らない時もありますし。死人に口無し、山辺と弥勒寺さんにかかってるね。」
 背筋に冷たい汗が流れるのを確かに感じ取った。引き継ぎのデータを確認したが、一言も発さず昼食のスープだけ摂って他は手を付けず、常に独房の隅に座り込んでいる状態である、と残されている。秀太には前回と違う緊張感が走った。
「時を見て、青海のパソコンの話を振ってみます。今日は昼夜勤務なので、時間はありますから。」
「頼んだ。」

 午前七時二十分、交代して番に就く。一度髭を剃ったようで、無精髭が多少短くなっていた。しかし前回の最後に見た時より更にやつれている。
「ご無沙汰。おはよ、陽。眠れてるかい?」
 返事は無い。何やらぶつぶつと呟いているが、秒針の音で聞き取れない。

 様子を伺いながら、秀太は宗次の話をずっと頭の中で繰り返していた。今回の事件は紛れも無く、陽が実行した絞首である。それは検察が完全に確認したと中井から聞かされている。この若人に、何ができるのだろう。鉄格子の中で膝を抱える若人は、何を思うのだろう?真実は偽実よりも残酷なのだろうか、またはその逆か。暴いてしまって良いのだろうか?青海薫と藤瀬陽は、真実が白日の下に晒されることを幸福と思うだろうか、はたまた苦痛の極致への第一歩になるのか。

 昼休憩を告げる鐘が鳴る。前回同様独房の格子に寄りかかって昼食を摂る。陽は手を付けない。
「飯ぐれぇちゃんと食っとけよ、陽が死んじまっても青海に会えるとは限らねぇぞ。」
 コンビニのおにぎりを頬張りながら秀太は語り掛ける。突然陽が返すした言葉が予想以上の声量だったので、危うく喉に米の塊が詰まるところだった。
「薫と、会えない!それでは誰も救われない!嗚呼、誰も救われず時は過ぎる、永劫身を焼かれ続ける方がずっとましだ!」
 驚く秀太を背中に、スープを一気に飲み干した。
「青海に、会いたいの?」
「会うことを許された身ではないことは承知の上だ!それでも、再会を叶えられるのなら是非叶えさせてくれ、そして私に極上の罵声を浴びせた上で殺してくれ、いつまでもいつまでも薫の最期の顔が忘れられないんだ。最期の最期までずっと笑っていた薫の、あの表情が無くなる瞬間を!笑顔が消え去った瞬間を!目を閉じればその瞬間が壊れたラジオに映像をつけたかのようにずっと繰り返される。かといって目を開き続ければ、私が私を責めるのだ。貴様には生きる価値なんて微塵も無いと、最愛の人を何故手に掛けてしまったのだこの愚か者と!」
 そして陽は、自分の首を絞め始めた。流石に秀太も大きく動揺し、慌てて独房の鍵を開き静止を試みる。自死を強く願う人間はこれ程の力が出るのか、と思うくらい物凄い力で、陽は自らの首を絞め続けた。咄嗟に秀太は陽の腹に膝蹴りを一発入れた。込み上げる吐瀉物に耐え切れず、首を絞める力は弱まって流し込んだばかりのスープを盛大に吐き散らして暴走は止んだ。

「手前が死んで青海は喜ぶのかよ!最期の瞬間青海は笑ってたって言ったよな、お前は青海の為に、青海を笑わせる為に首絞めたんじゃねぇのか!?青海は手前の首絞めてるとこ見て笑うと思ってんのか!」
 陽の吐瀉物に塗れ、秀太は感情的に叫んでいた。涙を流しながら叫んでいた。その涙の意味は、秀太にも分からなかった。
「着替えてくる。今日は当番一旦代わるから、愚痴なら年上のおっさんにでも聞いてもらいな。あとさ、青海のパソコン見つかったってよ。隠すように分かりづれぇとこにあったってさ。本気で青海に笑ってて欲しいなら、次会った時に何か知ってること教えてくれよ、頼むぜ。」
「薫の…。よく見つけたね。私でさえ隠し場所は知らなかったのに。中のデータは知っている。何度か見せてもらったことがある。あれも…。」
 交代の番とすれ違う間際、「あれ」という言葉に引っ掛かった秀太は率直に聞いた。
「あれ、って何だよ?」
 返ってきたのは、沈黙のみだった。

Next…


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