
歪んでも、なおそれを愛と呼ぶ 13
Before…
【十七】
片田舎の中規模の中学校で、私は社会人としてデビューしましたが、それは決して華々しいものではありませんでした。
私が新卒最年少なのは当然ですが、自分の次に若い人は年が九つ離れておりました。故に同じ目線では物事を話せず、私自身コミュニケーション能力がとても低いため、職務以外では基本一人で過ごしていました。
職務は真摯に向き合ってきたと断言できます。積み上げてきた学習の成果は決して裏切ることはありませんでした。また、大人より子どもの方が年が近いこともあり、教え子と関係を作ることは不思議と難しくはなかったと思っております。
要点を押さえて理解しやすい授業をしている、と視察に来たお偉い様は高評価を与えてくれました。授業や行事といった、子どもと関わる場面で私の能力は発揮されていました。
問題は、事務的な職務でした。簡潔に言うと、対大人・特に同僚と上手に仕事をすることがどうしても苦手でした。期限当日までその仕事を忘れていて深夜まで残業したり、何なら締切を守れず叱責されたりと、何とも無様な仕事具合でした。一つの職務に追われる余り、他の職務が抜けてしまう。欠席した生徒の保護者へ連絡すると、ついつい長話をしてしまい仕事が遅くなってしまうのです。そして遅くなった分を取り返すことは中々難しく、有限の時間を無限大と錯覚しておりました。
主任や管理職の方々からは、夏辺りまで「仕方ないよ、初めてだからね」と慰めてもらっていましたが、流石に初ではない業務での失態を毎月のように繰り返していては、残念がられても何ら可笑しい話ではありませんよね。給湯室で「あの子はいつになったら覚えてくれるんだろうね」なんて言われていたのを偶然耳にしたこともありました。仕方ありません。
採用試験は、筆記が主の一次試験は余裕で突破できました。最高評価でした。しかし、対話が主となる二次試験は当然行き詰って不合格でした。
心苦しい一年が終わり、翌年度は別の中学校で教えることになりました。そこは借りている自宅より更に遠く通勤で時間を要する上に、前職場での離任式後に主任から事前情報で「あそこは大変だから」とお話を頂きました。
二度目の職場では、社会人一年目というフィルターを剥奪された状態となります。要は、「一度やったことあるからできるよね」という目で見られるのです。
前職場と違ったのは、スタッフの層が若かったことです。自分より歳がひとつ下の講師が一人、私と同い年の講師が一名、教諭が一名おりました。主任も前職場程歳は離れておらず、若手に優しい職場だったことは有難かったですね。
私と同期の講師が、青海薫という綺麗な女性でした。彼女は何故受からなかったのだろう、と思うくらい二年目にして仕事を手際良くこなしていました。正直に申し上げますと合格していた教諭よりも仕事は早かったと感じています。
そんな中、私は別の意味で二年目とは思えない、何ともみっともない仕事っぷりでした。相変わらず抜けは多く、馬鹿正直に全てを完璧にしなければならないと思い込んで時間をかけて何とか追いついている状態でした。正直、社会人一年目の後輩の方が仕事はできていました。規模も前任校より大きく、規模の変化に戸惑いながら、叱られ続けて働いておりました。
転機となったのは、採用試験が近くなった頃でした。私と薫、年下の講師の三人は定時になると「勉強しなよ」と退勤を命じられました。私は大変申し訳なく、そして感謝しながら試験に向けて勉強しました。如何せん任せる形になる仕事が多く、本当に情けない思いでした。
薫は、講師組で試験勉強をしよう、と提案してくれました。後輩は「遠慮しておきます」と言って遊んでいました。私と薫はよく近場の喫茶店やファミリーレストラン等で試験の対策を練りました。
薫は筆記の一次試験が苦手で、そこの要点は私の方が熟知しておりました。私如きが、と思いつつもアドバイスをしながら一次試験に臨み、二人とも一次試験を突破しました。後輩は一次試験で不合格でしたが、元々そこまで繋がりは無かったので、「来年また頑張りなよ」と言ったきりでした。
二次試験に向けては、薫が練習を受けてくれました。
「一次をクリアできたのは、藤瀬先生のお陰ですよ。」
この言葉は何よりも嬉しい言葉でした。業務では足を引っ張りっぱなしな私でしたが、存在の価値を与えてくれた一言でした。
薫と共に管理職の上司にお願いし、面接の練習を幾度も重ねましたが、晴れて二次試験に合格したのは薫のみでした。私は、やはりまだ大人との対話が不得意なままでした。
激しく流れるように時は過ぎ去り、今年度が終わりました。私は同じ職場でもう一年やらせてもらえました。薫が業務について色々教えてくれたお陰で、仕事を少しばかり要領よくこなせたことが大きかったのでしょう。元々授業は得意だったので、管理職や中堅の先生方からも褒められることが増えました。
薫は試験合格にあたって講師から教諭となり、異動が確定していました。私はとても悲しかったです。薫がいないことの不安、そして互いに切磋琢磨し合えた仲間との別れ。離任式で流した涙は、薫に対してでした。
離任式が終わり、その年度の職員で最後の食事を終えた時でした。薫から夜に食事でも行かないか、と誘いがありました。断る理由はありません。少し腫れた目で賛成し、よく試験勉強をしていたファミリーレストランで夕飯を共にしました。一年を振り返った話題でささやかに盛り上がり、食事を終え、デザートを注文した時でした。私の口は理性を失って衝動的になり、勝手に言葉を紡いだのです。
「貴方に出会えて本当に嬉しかった、僕と交際して下さい。」
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