山菜の時期は_家庭がおだやか

山菜の時期は、家庭がおだやか

嫁姑のおはなし。

私は基本的にズボラで、前例に倣うことが苦手で、新しいことが好きで、どんな相手とも対等にありたいと考え、あまり家にはいたがらない性格です。姑は基本的に神経質で、安定志向で、新しいことには慎重で、上下関係を重んじ、家を守るのは女の義務だと考えている人です。

つまり、真逆です。

そんな姑が唯一、どこか子どもっぽくて、表情が柔らかくなるのがこの山菜の時期。朝早く起きて山に入っては、ゼンマイやら木の芽やらタラの芽やらコゴミやら、たくさんの戦利品を抱えて戻ってきて、仕分けや処理をしています。そしてそれらを周りの家に配ったり、親戚に分けたりしています。

明らかに小言が減って、夕飯時に嬉しそうな姑を見て「はー、ストロークってすごいなあ」と思うのです。

はい、コミュニケーション心理学の話ですよ。

承認欲求は趣味で満たすことができる

「ストローク」、つまり「存在認知の刺激」は一般的に、他者との交流でやりとりされるものですが、好きなことに没頭することによって自分自身にストロークを送ることができます。自分で自分の承認欲求を満たしているわけですね。そして、没頭によってうまれた成果物は、他者からの大きなストロークをもらえると期待できます。

たとえば、子どもが没頭してやってみせたことは、心から喜んでください。評価したりアドバイスをすると否定されたと受け取られかねませんから、話を聴くだけで十分です。それは大きなプラスのストロークとなって、自尊心を育て、自律につながります。

自らの足で山に行き、自らの目で山菜を見極め、自らの手で山の恵くをいただき、それらの結果を子どもたちに(苦いもの以外は)喜んでもらうという一連の行為そのものがたっぷりのストロークとなり、一年で一番ストロークに満たされる時期なのではないかと思うほど、家の中が穏やかです。私も、普段は目を気にして手を出せないところの掃除などもやってしまえますし。ナントカのいぬまに洗濯って言いますからね。

趣味のない人がイライラする理由

しかし、姑はもういい歳です。編み物をしていた時期もありましたが、目が悪くなって辞めたようです。来年は食べられるかなあと言いながら数年続いてはいますが、本当に身体が動かなくなってしまったら、唯一の趣味がなくなってしまいます。

そうなると、自分自身でストロークを生み出して送ることが難しくなり、他者からストロークを得ようという行動に出るようになります。

実際、なかなか外に出られない梅雨や冬の時期は、洗濯物も乾かずじめじめして、気圧も低いのでストレス下にあります。そうなると承認欲求を満たそうとする無意識の行動が増え、「心理ゲーム」を仕掛けてこようとします。

標的となりやすい嫁としては「アラ探し」をふっかけられるのですが、何をやっても結局アラ探しをされるだけだとわかってからは、デキマセンスミマセンゴメンナサイでスルーするようになりました。

そうなると夫が仕掛けて標的の的を取りに行くのですが、ガチの心理ゲームにもつれ込むので、濃いマイナスのストロークが親子で交わされている様子。次の日の朝にはケロッとしています。夫には私がプラスのストロークを送るので、まあまあエコシステムができているのかもしれません。

だからこそ身体が動く今のうちに、友達の家でお茶をしたり、好きなことや面白いと思うことを見つけてほしいものですが、とにもかくにも変化を嫌う性格なので、頭痛の種ではあります。一番焦っているのは本人かもしれませんが。

年寄り笑うな行く道だとも言いますし、私は歳をとっても好きなことをやっていようと思いつつ、こうやって note を書いたりするのでした。