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親になった時に子供に言いたくないこと。

日本人は空気を読むのがうまいと思う。

海外でプレイしていた時は、
「なんでこの人たちは自分のことばっかりなんだろう」
と思うこともあったが、
それにも慣れてくるものだ。

いまとなっては、逆にそっちのほうが心地いいかもしれない。

親になったとしたら言いたくないこと

結論から言うと、
「みんな〇〇しているよ」
「みんな同じなんだから」
「違うことしないで」
という類のことは言いたくない。

金子みすゞは
「みんなちがって、みんないい」
と言っている。

昔からあまりにも有名なこの一文なのに、
高度経済成長期には正解を求めて、
それをより早く、より正確に、より多く、より長く
処理できる人間が重宝された。

そのためには、
「みんな同じ」ことが最低限求められた。

いまでも、最低限のことが求められるのは間違いないかもしれない。

ただ、言ってることが成長して生きていくうえで、
変わっていくような気がする。


違いを認められて育って同じを求められる

昨今の教育現場では、
子どもたちの個性を認める形になっている。

なんなら、教育現場でも、
幼稚園や保育園では「かわいいね」と言われ
個性を認められているけれども、
小学生にはいると、一定の標準を求められる。

昭和生まれの我々の世代は、
特別支援という概念がほとんどなくて、
いまでいう学習障害やアスペルガーみたいな言葉はなかった。

最大限の「個性」を認められて義務教育で守られる。

だけれども、社会に出たら、
「あの子、なんか違う」
と言われてしまう。

空気が読めないとか。
最近の若い子はとか。

中学を卒業したら、
特別支援というものは、
一気にその幅がせまくなってしまう。

特別支援学校に進学をしたり、
福祉作業所に就職するとなると話は別だが、
成長していくにつれて、
みんなと同じであることの【普通】を求められる。

もちろん、特別支援に当たらない場合でも、
個々人の個性というものよりも、
一般化された社会が求める人物像というものに
寄せて考えていくようになる気がする。


同じを求められて育って違いを求められる

逆のことも言える。

教育現場の中でも、
「みんなできているのになんでできないの」
などといって、
みんなと同じを求める場面は多い。

物心つくと、子ども自身も友達と同じを求めることが多い。

同じ、ということが安心感を与えるのかもしれない。

教育の中で、同じがいいことだと
無意識のうちに刷り込んでいるのかもしれない。

持久走大会の順位をつけるかつけないか。
かけっこで順位をつけるかつけないか。

そんなことが議論されたりする。

同じを求められたり、同じを求めたりしながら成長し、
社会に出たら同じではなく、
他者との違いを売り出さないといけない。

入試のときも就職活動のときも、
他者との違いを売り出すことで、
集団の中から選ばれる存在になったりする。


スポーツの現場ではどうだろうか

スポーツの現場では、
一定水準の基礎基本の技術技能を求められる。

ただ、トップレベルになればなるほどに、
他者との違いがなければ生きていけなくなる。

同じを求めながらも、
違いを出させなければならないジレンマが出てくる。

コーチとしても、
同じを求めるべきか、違いを認めて求めるべきか、
その塩梅が難しい。

カテゴリーによっても、
選手のポテンシャルによっても違ってくる。

ただ言えることは、
みんな同じを求めているばかりでは、
突出したスター選手が生まれる可能性は低いということだ。

そして、みんな同じを求めていて、
選手の能力によって周りよりも突出する何かがあるのであれば、
指導者は幸運といえる。

みんなと同じを求めずに、
違いを求めることができるかどうか。
その指導者は勇気を試されることになる。


ストレスの原因はこれしかない

精神的なストレスを抱える場合、
自分との違いが出るからだと思う。

自分の世界観や考え方と違うということにストレスを感じる。

なんでわからないんだろう。
なんでわかってくれないんだろう。

という違いに対してストレスを感じるはずだ。

そもそも、個体として【違う】のに、
【同じ】を求める。

それでいて【同じ】でもいいのに、
自分だけの【違い】を求めたりもする。

人というのは、本当に難しい。
だからこそ、面白い。


まとめ

自身が親になったら、
子供には自由に生きてほしいと思う。

私自身がそうであったように、
やりたいということに関しては
やらせてあげたいし、
やりたくないというのであれば
無理強いをさせてまでやらせたくもない。

もちろん、人として最低限のこと、
法を犯さないというルールの中で、
前例がないからとか、
時間や金銭が足りないからとか、
そんなことを理由に制限はしたくない。

前例がないなら作る。
時間がないなら生み出す。
お金がないなら引っ張ってくる。

同じであることに安心して、
違うということに焦りを感じるのではなく、
同じすぎるということに違和感を感じ、
違うということを誇れるくらいに、
自分が取り組んでいることに誇りを持てて、
自分のことを好きでいてほしい。

指導者として、
選手に対しても自分に対しても、
違和感と安心感の間を行ったり来たりしながら、
同じを強制しすぎることもなく、
違いを否定しすぎることもなく、
違いと同じをしっかりと認識していきたい。


なお、自身が親になる予定はまだない。


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Atsushi  Mekaru
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