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1995年のバックパッカー#32 カンボジアーベトナム 陸路で国境を越えること、その楽しさ、サイゴンの響き。
8月4日の日記の最後には、午後には雨が降ったこと、夕食を近くのインドレストランで食べたこと、そこでマイクタイソンが負けた試合を見たこと、が記されている。場所は東京ドームだ。
おそらく僕は、それらを遠い遠い星での出来事のように感じたに違いない。昼間に内戦による負の遺産を巡った後の動揺も収まらないままマイクタイソンがノックアウトされるシーンを眺め、どちらにも現実味を感じられないまま、浮遊感に包まれてい
1995年のバックパッカー#31 カンボジア2 シェムリアップープノンペン たまにはちゃんと考えた。
アンコール遺跡群からの帰り道、森の道が終わり、シェムリアップの町に入ってすぐの広場で、ムエタイの野試合が開催されていた。夕暮れの空の下、その素っ気ない四角いリングは、日本の盆踊りの櫓と重なった。
シェムリアップの、屋根もない広場でのムエタイは、本場バンコクのルンピニースタジアムとは規模も内容も雲泥の差があるが、そこにはメコンの田舎興行の長閑さがあって、別物として十分楽しめた。
選手は概ね小柄であり
1995年のバックパッカー#30 カンボジア1 シェムリアプ アンコールワット見参。そして山盛りガンジャ。
早朝6時半に、キャピトールホテルをタクシーで出発した。
ぐっすりと眠れたので、目覚めは良く、田舎道を進む景色が眩く感じられた。
朝というものは希望に満ちてしまうものらしい。東南アジアを旅するバックパッカーたちに恐れられていたカンボジアのプノンペンですら、清らかで穏やかな空気に包まれていた。僕はその清々しい情景をタクシーの窓越しに眺めながら、なんともいえない安らぎを感じていた。
道ははそれほど
1995年のバックパッカー#27 タイ2 バンコク2 ムエタイとパッポンストリート、微熱と下痢。
結局カオサンロードには2泊しただけで、翌日には別の安宿密集地であるマレーシアホテルエリアのケニーズに移った。カオサンの160ホテルの部屋と違って、その部屋には窓があった。それでも暑いことには変わりなかった。少しでも節約しようと冷房のない部屋を選んだからだ。今思えば、数100円の差をケチっていたのが不思議だが、ローカルの金銭感覚で暮らすことに慣れてくると、その差はやはり大きい。場合によっては家族が1
もっとみる1995年のバックパッカー25 ネパール3 カトマンドゥ3 仏教、ヒンドゥー教、象の背中、そしてレモンチーズパイ。
カトマンドゥに来て2度目の土曜日が訪れた。ネパールでは土曜日は休日だ。これは彼らが昔から使っているビクラム暦に従って暮らしているからだ。誕生日もビクラム暦で覚えているので、西暦に換算するのがネパール人にはややこしいらしい。
もっとみる1995年のバックパッカー23 中国13 チベット4 世界の屋根での大芝居 さらばチベット!
かくしてジープに乗り込んだ僕とグラントであった。
ティンリへの雄大な風景をグラントは楽しんでいたが、僕は病人のふりをし続けるために、後部座席で横這いになっているしかなかった。身を乗り出して風景を楽しんでいるのがばれたら、元気ならもう降りてくれと、言われかねない。僕は高山病という設定で頭が割れそうな呻き声を時々入れつつ(経験済みだったので簡単な演技だった)、チベットの空だけを眺めていた。
あの頃のチ
1995年のバックパッカー22 中国12 チベット3
あの時はああするしかなかった。
そんな過去のほろ苦い場面が誰にでもあるだろう。そして後悔たっぷりの出来事が、良い思い出へと変化するには数年は必要だ。
天啓を受けたかのような素晴らしい思いつきというのは、最良のゴールへと導くことは少なくて、ほぼ間違いなく暮らしの中の罪なきギャンブルとなる。