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きっともう二度と食べられないんだ

火を通していないイカゲソのキムチは鶴橋にも新大久保にもあるけれど、火を通したイカのキムチは帰国してから一度も、みかけたことがない。


この文章は、わたしが10年前の2009年3月から一年間、中国に留学していた頃の回顧エッセイです。毎週火曜19時に更新しています。


留学期間の前半にいた留学生の語学クラスはちょっと背伸びをして中の上。レベルとしてはまあまあのスタートといったところ。授業はたしか3月中旬ぐらいのスタートで、5月になると親睦を深めるために森林公園に出かけるイベントがある。春遊(チュンヨウ)という、春のピクニックだ!

ワゴンみたいな中型バスが何台も寮の前に停まって次々と留学生が吸い込まれていく。ゴトゴト揺られて吉林の山奥へ。

到着してからはピンポン玉を運ぶゲームをしたり、中国語のジェスチャーゲームをしたり、長縄跳びをしたり。

意外と勝負事となると真剣。


こういうのって誰が考えるんだろうね。
語彙力もリスニング力も全然なくてルールもわからず笑ってごまかすわたし。

みんな3月から始まったばかりのクラスでまだ若干ぎこちないし国籍も年代も全然違うし、それでもなんだかんだではしゃいで過ごした。

何もかもが全部ちがうと、みんな同じにみえてくるのかもしれない。

そして待ちに待ったランチタイムはみんな好きなものを持ち寄って食べるのだけど、みんなで頼んだ韓国風海苔巻きのほかに北朝鮮のおじさんたちが手作りのイカゲソキムチを持ってきてくれた。

こりこりしてピリッと辛いのにイカの味がまろやか。
これが正真正銘本場の手作りキムチか。

ロシアの女の子と、タジキスタンの女の子。韓国の男の子と、北朝鮮のおじさんたち。アフリカ系の男の子とアメリカ人の男の子、日本人のわたし、タイ人の学級委員長、中国人の先生。みんなで囲んで食べた。

キムチをつまみに缶ビールを開けて飲んだりして。大人のピクニックだ。

全部の工程が終わって寮に戻ってきたときに、韓国の子が「おじさんとは同じ言葉でしゃべっているのに、別の国に住んでいるだなんて信じられないなぁ」とポツリと言ったこと、10年経ってもイカゲソキムチと一緒に思い出す。

あの時のキムチ、もう一度笑って食べられる日は来るのだろうか。

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