再生処理の現場 vol.4 北原国際病院 山本さおりさん 『患者さんのための中央材料室をつくる、フラットなコミュニケーション』
再生処理の現場に立つ、さまざまな方の声を届ける「再生処理の現場」。vol.4の今回は、北原国際病院の中央材料滅菌室(以下、中材)に勤める山本さおりさんにお話を伺いました。北原国際病院では、個人の意思決定を尊重するフラットな組織モデル「ティール組織」を実践しており、部署間のコミュニケーションにおける壁がないことが、中材の運営にも活かされていると山本さんは語ります。本記事では、山本さんが再生処理の仕事に携わるようになったきっかけから、中材の環境の改善にあたって必要な視点やコミュニケーションのあり方についてお話しいただきました。
滅菌保証に「グレー」はない
-山本さんが中材で働きはじめたきっかけを教えてください。
私はもともと、静岡県の聖隷福祉事業団にて介護福祉士としてのキャリアをスタートしました。その後、八王子市のケア付き高齢者施設の立ち上げなどを経験してから、もう少し外の世界を見てみようと、実家の日野市の近くで仕事を探しはじめ、北原国際病院の求人広告を見つけたんです。ここは脳外科とリハビリテーションが強みの病院なので、どちらも勉強できたらおもしろそうだし、介護士としてのキャリアが磨けると思い、働いてみたいなと応募することにしました。
履歴書を送って面接にうかがうと、当時院長だった北原の部屋に呼ばれたのですが、一般的な面接ではなく、「ホスピスってどう思う?」と聞かれたり、当時導入されたばかりだった日本の介護保険についての意見を求められたり、そんな話を2時間ほどしていたんです。当時の看護部長さんから「もうそろそろ解放してあげてください」と言われて(笑)、ようやくその面接”風”が終わり、無事に働かせていただくことになりました。
入職後、介護士として夜勤のある病棟勤務をしていたのですが、結婚して3人の子どもを続けて出産したので夜勤ができなくなってしまい、日勤帯で働ける部署として中材の仕事を担当するようになりました。もともとオペで使用されている物品には興味がありましたし、中材の仕事にも関心があったのでちょっと覗いてみようかなという気持ちでしたね。
-当時の中材はどのような状況でしたか?
専任のスタッフはおらず、ケアワーカーがオペ看護師に言われたことをなんとなくやっている状態でした。オペが終わってから、洗浄機で機材を洗浄し、汚れがないか目視でチェックすることはしていましたが、再生処理のプロセスをきちんと理解しないまま仕事をしていたと思います。
その後、大阪の国立病院で働いていた方がオペ室の師長として赴任されてきたのですが、一緒に働きはじめた時に「山本さん、これは滅菌できていますか?」と聞かれたんです。それに対して、「いま滅菌器に入れました」と返したんですが、「そういうことじゃない」と言われて。その頃私はまだそこまで知識がなかったので、どういうことなのかよくわからなかったのですが、彼女から言われたのは、「そんな知識も技術もない人に、滅菌をやってほしくない」ということでした。
後日、彼女がいた大阪の国立病院に研修へ行かせてもらったんですが、そこではじめて第一種滅菌技師の方とお会いすることができました。研修中に、「君は誰のために仕事しているの?」と聞かれ、「患者さんのためです」と答えたんですが、「そのわりには、君がやっている滅菌は“もどき”だよね?」と言われてしまったんです。三日間の研修を通して、その方の仕事を見せていただき、一緒に再生処理のプロセスを経験したことで、はじめて私がやっていたことは“もどき”だったということがわかりました。
自分の性格的にスイッチが入るとそのまま突っ走りたくなるので、研修を終えたすぐのタイミングで第二種滅菌技士の試験を受験し、合格することができました。その後も、メーカー主催のセミナーや医療機器学会に参加するようになり、洗剤やインジケーターなど、再生処理に関わる機材や物品の一つひとつに意味があることがわかって、「こんな世界があったんだな」と目を見開かされましたね。
_____________________
この続きは、SALWAYのWebサイトで公開中!