#映画感想文311『ビニールハウス』(2022)
映画『ビニールハウス(原題:Greenhouse)』(2022)を映画館で観てきた。
監督・脚本はイ・ソルヒ、主演はキム・ソヒョン。
2022年製作、100分、韓国映画。
ムンジョンには、少年院に入っている一人息子がいる。息子が出てきたら、一緒に暮らしたい。それを夢見て、日々の苦難に耐えている。彼女はおそらく夫のDVか何かで離婚して、その後は農地にあるビニールハウスで暮らしている。これは、実際に韓国で社会問題になっており、絵空事の貧困ではないのだという。ただ、ビニールハウスの中は広々とはしている。ベッドに洋服ダンス、冷蔵庫、テレビまである。寝ている最中に、ムカデが落ちてきたりはするが、一見、暮らせそうだと思えてしまう。
ムンジョンは介護士として、認知症のファオクの世話をしている。悪態をつかれ、唾を吐かれても、彼女は表情一つ変えず、なだめる。ファオクの夫であるテガンは失明しており、目が見えない。ムンジョンを長時間雇えるお金はあるものの、テガンは目が見えなくなった不自由さ、そして初期の認知症であることに絶望を抱えている。
テガンは夫婦で施設に入ろうと考えていることをムンジョンに告げる。ムンジョンにとって、それは食い扶持を失うことを意味しており、解雇宣告に近い。彼女は静かに狼狽するが、焦燥が見え隠れする。
ある日、ファオクを風呂に入れていると、突然、暴れ出す。ムンジョンは叩かれたりして揉み合っているうちに、ファオクは風呂場のタイルで頭を強打し、大量の血が流れだす。ムンジョンは救急車を呼ぼうとするのだが、ちょうど息子からの電話がかかってきてしまう。息子は「お母さんと一緒に暮らしたい。その日を楽しみにしている」と言う。息子との未来が失われることを避けたいと思ったムンジョンは通報を取りやめ、息を引き取ったファオクの死体をビニールハウスまで持ち帰ることにする。ファオクの代役に、自分の認知症の母親をあてがって窮地をしのごうとする。夫のテガンは目が見えないものの、妻ではないことにすぐ気が付く。しかし、ムンジョンが何も言わないので、自分の認知症が進んでいるのだと思い悩み、さらに抑鬱状態がひどくなっていき、夫婦での心中を画策するようになる。
本作は、悲劇が悲劇を呼び、最大級の悲劇で終わる。それを徹底させた監督の信念は執念にも似ている。
釜山映画祭の観客は、本作を「不幸ポルノ」と呼んだのだという。
フィクション、ノンフィクションに関わらず、メディアで他者を目の当たりにし、世の中にはさまざまな人が生きている、と学べたとき、わたしは見てよかった、とつくづく感じる。
自分の貧しい想像力では及ばないところで、強く生きている人たちはいる。その事実にハッとして、自分の狭量さを知り、この世の自由さを改めて知ることもある。
そのような意味においても、本作は同時代の人間の生き様を観られる作品なのではないかと思われる。
イ・ソルヒ監督は、イ・チャンドン監督を尊敬しているのだというから、そこもまた信用できる。若干二十九歳、どんどん映画を撮って、巨匠になっていってほしいな、と思う。
この記事が参加している募集
チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!