#映画感想文239『妖怪の孫』(2023)
映画『妖怪の孫』(2023)を映画館で観てきた。
監督は内山雄人、2023年製作、115分、日本のドキュメンタリー映画である。
ちなみに観客の大多数はご高齢の方々だった。
妖怪とは岸信介であり、その孫である政治家の安倍晋三とは何者だったのか、という映画である。次から次の話題へとサクサク進み、テンポがよく非常に面白かった。ただ、情報量が多いので、正直なところ、何度か見ないと出来事とその顛末を把握できない作品だと思われる。
初見で印象に残ったのは3点。
まず、ニューヨークタイムズの元記者の人が指摘する日本のメディアの弱腰ぶり。メディアの人々は自分たちをエリートだと思っており、政治家との一体化が見られ、早く情報を得て、民衆に情報を下ろすことが仕事だと思っている。ジャーナリズムがない、批判精神がない、という指摘である。それに加え、日本の政治家の圧力が大したことがない。メディア側の自主規制が過ぎる、とのこと。それはこちらも実感している。日本の新聞って、政府広報みたいで、通信社の記事と変わらないのよね。丹念な調査報道とか、ちゃんとやってくれよ。
次に官僚の人たちの萎縮。「メディアの人で、二重スパイのように動いている人がいるので、もう何も言えない」と零していた。この官僚男性は、自分が話していたことが上司に伝わっていて驚いたと話していた。それは、つまり、官僚の言葉はすぐに政治家にも伝わってしまう、ということを意味する。そして、憲法も法律も形骸化しちゃって、これまで勉強してきたことは何だったのかと溜息をついている。官僚からのリークを省庁内で広めたり、政治家にチクったり、メディアの人って、まともに仕事する気があんのかね、とまた思ってしまった。もちろん、官僚が政治家をコントロールしようという攻防もあることはわかってはいる。財務官僚って国民から収奪することしか考えない鬼だよね~。
最後は憲法学者の小林節氏による自民党の政治家たちの勝手な憲法解釈の話である。憲法の原則は、権力者の力に制限を加えることにあり、憲法を守る義務は為政者側にある。それが全世界の共通理解であるにも関わらず、「わたしはその解釈の立場を取りません」と高市早苗は堂々と言ったという。(あのね、あなたが解釈する余地はないんですよ、というのが小林氏の指摘である)彼女だけでなく、憲法は時代によって姿を変えるべきだという持論を展開する自民党議員は少なくないという。いやいや、憲法の定義ってのは普遍で不変なの! それを国会議員が守ろうとしないホラー。小林氏は彼らが目指しているのは「明治憲法への回帰である」とはっきりと述べている。貴族・華族的な権力者が、臣民をコントロールしたい、という欲求が見られるという話だった。
しかし、まあ、三世四世議員に白紙委任している国民の側にも大きな問題があり、そのような有権者の行動によって政治家が増長してしまっているのだ。この傾向は今後も続くのだろう。
いち市民としては、政治や憲法については少しずつでも勉強を続けていくしかない。そのような地道な学びで抵抗していくしかない。自民党の世襲政治家に嫌われるようなことをしっかりやっていこうと思う。彼らの思う壺にならないように。おあとがよろしいようで…。(別によろしくない笑)