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#読書感想文 角田光代(2016)『坂の途中の家』

角田光代の『坂の途中の家』(2016年,朝日文庫)を読んだ。

里沙子は三歳になる娘の文香を持つ、三十三歳の専業主婦。夫の山咲陽一郎は会社員。里沙子は子育てと仕事が両立できないのではないか、という不安から会社員を辞め、家事と子育てに専念している。そんな彼女のもとに裁判員の候補者になったという通知が届く。候補者になっただけだと安堵したのも束の間、裁判員の補充裁判員として、裁判を傍聴することになってしまう。

その裁判は乳幼児の虐待死事件で、水の溜まった浴槽に八か月になる長女を落としてしまった三十代の水穂という母親が容疑者。似たような境遇にいる里沙子は水穂の事件が他人事だとは思えなくなってくる。

その公判が八日続き、里沙子は夫の実家に娘を預けたり、時間のやりくりに疲労困憊しながらも、自分自身の人生を振り返り、水穂の人生と自分の人生の重なりに気が付いていく。

里沙子は実家の両親と折り合いが悪い。だから、結婚もしたいとは思っていなかった。夫との出会いに運命を感じて、それを逃すまいと結婚した。夫の一家は家族円満で、夫は母親に妻の里沙子が話されたくないことまで話している。母子密着を感じさせるものがある。しかも、夫は「妻はどこかおかしい」という解釈を含めて、義理の母親に伝えていることがわかってくる。里沙子はどんどんできそこないの妻、母親のように思われているのではないか、という不安が増していく。それと似たようなことは水穂の身にも起きていた。

そして、育児ノイローゼ状態であった水穂に対して、夫の寿士は「君は機能不全家族で育ったのだから、子どもをうまく育てられるわけがない。君が両親を嫌っているように、子どもも君を嫌うようになるだろうから、君に子育てはさせられない」と告げる。水穂が抱えている負い目と、変えられない過去を理由に、今の言動や状況をなじって、さらに追い詰めていたことが裁判で明らかになっていく。

このような問題を抱えている夫婦は世の中に山ほどいる。特に女性側に経済力がなく、実家の親の支援も得られにくく、赤ん坊を育てていて身動きが取れなかったら、これほど支配しやすい女性はいない。陽一郎は無意識だったかもしれないが、自分より弱い誰かをコントロールしたかったのだろう。そのうえ、かわいい息子として自分の母親の同情を引き出すため、妻を悪くも言う。息子は、母親もいいようにコントロールしたい。

里沙子は陽一郎の言動によって、自身の自尊心が削られ続けてきたことに気が付く。否定的なやりとりが彼女の中で蘇ってくる。それも時すでに遅し。彼女は自分の足では立てなくなっている。もちろん、自らそのように行動してきた責任を彼女自身も認める。

本作はガスライティングのサンプルのような作品でもあった。家族とは一つの小宇宙であり、そこには第三者にはわからない関係性、微妙な力関係、パワーバランスがある。どこの家にも、大なり小なりホラーが潜んでいる。

平易な言葉で、徐々に畳みかけていく角田光代の筆力に舌を巻く。主人公の里沙子だって信用できない語り手である可能性もはらませており、500ページがあっという間に終わってしまった。

(こんなことを言ったらなんだが、投資と同じで、人間関係も分散させておかないとリスクがあるのだなと思った)

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佐藤芽衣
チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!

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