#キホンの労働法 労働基準法第1条「人たるに値する生活」
社会保険労務士 学習記録 その2
はじめに(ご一読ください)
わたしは社会保険労務士の資格取得のため、ゆるく勉強している初学者です。正確な情報を知りたい方は、専門書や専門家にあたっていただきたいと思います。
社会保険労務士 学習記録 その1はこちら。
労働基準法とは、安全衛生法や雇用保険法といったほかの労働法と比べると、メジャーであると思うし、よく耳にする法律でもあると思う。
恥ずかしながら、社労士の勉強を始めるまで、労働法=労働基準法だと思っていた。労働法って、労働関連の法律ということで、いろいろあるのだ。
第一条(労働条件の原則)
労働基準法の目的条文である第一条を以下に引用する。
目的条文とは、つまり、労働基準法という法律がなぜ存在しているのかの理由が記されている。
この文を読んで驚いた。「人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」と義務付けられている。
なぜ、現代にはワーキングプアがいて、貯金もできず、「頑張って働いたら報われる社会になってほしい」などというフレーズが散見されるのだろう。わたしは「頑張らなくても働いていたら、生きていける社会」でないとおかしいと思っている。働いているのに「人たるに値する生活」ができていないと感じている人がいること自体、本来、おかしなことなのだ。
労働基準法が施行されたのは昭和22年9月13日である。その際、(事務次官発信の但し書きである)発基17号には、以下のように補足がなされている。
「労働者に人格として価値ある生活を営む必要」とまで言っている。「人たるに値する」だけでなく、「人格として価値がある」、つまり文化や娯楽を楽しみ、教養や教育も、当然必要だと考えられているのだ。これには、ちょっと感動した。現実は違っているが、理念はあったのだ。
ただ、第一条は訓示的規定、よく言えば理念、悪く言えばお題目であるため、違反をしても罰則はない。残念である。
第一条の2項では「法律の労働条件の基準は最低レベルであるのだから、労基法を理由に労働条件を低下させてはならないのは当然で、むしろ向上させるための努力が必要である」と述べられている。これは心強い。
労基法に関連する憲法
労働基準法は単独で存在しているわけではない。大きく依拠するのは憲法である。
憲法25条により、わたしたちは「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有しているからこそ、労働基準法の第1条では「労働条件は人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」とされているのだという。労働の見返りは、単に生命維持ができればOKという法律ではないのだ。
まとめ 労働基準法第1条と憲法第25条
・労働条件は、労働者が人間らしく、文化的な生活をするための必要を満たしていなければならない
・それは人格として価値ある生活である
・ただ、生活ができればいい、というものではない
・労働基準法は最低レベルのルールで向上させる必要がある
「過労死寸前まで働け」なんて労働基準法は言っていないし、憲法第25条では生存権が保障されている。だから、生活保護制度という社会保障制度が作られ、労働基準法でも無茶な条文を書くことが制限される。憲法が権力の暴走を防ぐ役割を果たしていることに今更ながらに、はっとする。
そう考えると、憲法改正では9条のことばかりが話題になるが、25条(生存権)や13条(個人の尊重、幸福追求権)が変えられてしまうことも、すごく恐ろしいことだと思う。