#映画感想文『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』(2021)
映画『ラストナイト・イン・ソーホー(原題:Last Night in Soho)』を映画館で観てきた。2021年製作、エドガー・ライト監督のイギリス映画である。
和訳すれば『昨晩、ソーホーで』といったところだろうか。
ロンドンのソーホーにあるファッションデザインの専門学校に主人公のエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は入学する。入学早々、わかりやすくエロイーズはイジメられる。このルームメイトはわかりやすく嫌な女として描かれており、それに対して批判的な向きもあるが、彼女に一人暮らしをさせるための脚本上の都合、道具的な登場人物の配置という気もする。ゆえに、キャラクター設定にそれほど深い理由はないと思われる。まあ、ロンドンのファッション専門学校に対する偏見やステレオタイプは詰まっているような気もする。(実際はすごく真面目な人が集まり、勉強していると思われる)
寮で暮らせないと決意したエロイーズが引っ越した部屋は、なんと1960年代のソーホーとつながっており、彼女は憧れの1960年代のソーホーを歩き回る。
そして、夢の中で、歌手と女優を目指しているサンディ(アニヤ・テイラー・ジョイ)に出会い、彼女の暮らしや仕事を追体験していく。(Netflixのチェスのドラマで有名な女優さんですね)
かいつまんでいうと、おしゃれな1960年代の女性たちも、セックスを売ることを強要され、ポン引き(女衒)の男たち、そして男社会に搾取されていた、という話である。今は違う? いや、2021年現在も、女性は経済的弱者で性的に搾取されたり、セクハラされているではないか。
この映画はあくまでホラー映画なので、社会派映画ではない。ただ、そのような視点が当たり前に取り入れるようになったことは、やはり良いことではないか。
わたしは「作品(表現)と現実は関係がない」と思っていた。しかし、そうではないことが実感としてわかってきた。フィクションで、女性が物として扱われ、性的に消費されている作品があふれているのは、現実の反映があってこそなのだ。現実で女性のセックスが当たり前のように消費されていれば、フィクションにおいてもそれが当然行われる。
女性の性的搾取はよくないことだ、というフィクションが増えれば、現実にも影響を及ぼすことができるはずだ。現実で人権が尊重されていないのに、フィクションで尊重されるはずがない。また、フィクションの中で人権が尊重されていないのに、現実では大事にされている、ということも絶対にない。相互作用は確実にあるし、フィクションは現実を映す鏡に過ぎない。
「これって、恋愛なんかじゃなくて、ただの搾取だよね」という指摘が、どんどん増えていけばいい。
ここのところ、大型トラックの広告で、風俗嬢募集とホスト店のものをよく見かける。風俗店で女性を働かせ、そこで働いた金をホスト店で使えと促されているようで、心底うんざりする。女性の労働と消費行動がすべて搾取構造の中にあるのは最悪だ。こういう話をすると、自由選択で自分の意志でやっている人もいる、好きでやっている人もいる、ホスト店に行くのが生きがいの人もいる、という人であふれかえるのだが、わたしは仕組みの問題を指摘しているのだ。誰の財布が一番膨らんでいるのか、よくよく考えたほうがいい。
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