#映画感想文349『ロボット・ドリームズ』(2023)
映画『ロボット・ドリームズ(Robot Dreams)』(2023)を映画館で観てきた。
監督・脚本はパブロ・ベルヘル監督、原作はサラ・バロン。
2023年製作、102分、スペイン・フランス合作。
舞台は1980年代のニューヨークのマンハッタン。アパートで独り暮らしのドッグはぼんやりとした目でゲームをして、冷凍食品をチンして夕飯を済ませるような生活を送っていた。夕飯を食べていると、孤独な自分が電源を落としたテレビ画面に映り込み、彼は慌ててスイッチを入れる。すると、「あなたは孤独ではありませんか」という友達ロボットの購入を促すコマーシャルが流れてくる。さみしさに苦しんでいたドッグは電話をかけてロボットを購入する。
そして、重量感のある大きな段ボールが自宅に届く。ロボットがそのまま入っているわけではなく、自分で組み立てをしなければならない。ドッグが頑張って組み立てをすると、ロボットは自律的に動き始める。その日から、ドッグはロボットと行動を共にするようになる。生まれたばかりのロボットにとって、街で見るもののすべてが新鮮に映る。そのロボットを見て、ドッグ自身も街を楽しんで歩く。
ある夏の日、ドッグはロボットを連れて、海水浴に行く。二人でスキューバダイビングなどして楽しんでいた。夕方、帰ろうとすると、ロボットが動かない。海で泳いだせいで錆びてしまい、うんともすんとも言わない。ロボットの目は動くので意識はある。重くて持ち上げられず、ドッグはしかたがなく、ロボットをあきらめて帰宅する。翌日は工具と書店でロボット修理本を買い求め、再びビーチに向かうも、浜辺には入れないように施錠がされている。何とかロボットを修理して連れ帰りたいドッグは、南京錠などを工具で切断するのだが、警備員に見つかり、警察に逮捕され、前科者になってしまう。翌年6月1日の海開きの日を待つしかない。ひとまず、ドッグはロボットを連れ帰ることをあきらめる。
浜辺に置き去りにされたロボットは、ドッグの家に帰る夢を何度も見る。しかし、現実は寒々しい。海からやって来たボートの修理をしたいうさぎに足をもがれたり、雪の中に埋もれ、しまいにはスクラップ屋に売られて、バラバラになってしまう。
一方のドッグは、海開きの日を待つしかない。暗く待っていてもしかたがないので、季節のイベントにはきちんと参加する。ハロウィン、新年の凧揚げ、雪ぞりなどなど。ダックと出会い、恋の予感もあるが実らない。スキー場ではアリクイに意地悪されたりする。やっと、海開きの日が来て、ロボットを探しに行くが、足一本しか見つからない。すでにスクラップ屋に連れていかれたあとだったのである。孤独なドッグをロボットが救ってくれたのだが、ロボットと離れたことにより離別の悲しみを味わい、その次は喪失の痛みを味わうことになる。
ふたたび孤独な暮らしを送るドッグはそれに耐えられなくなり、中古の友達ロボットを購入する。前のロボットとは違うけれど、大事にしようと決意する。(また、夏に海辺に連れていくので、ドッグはどうかしているのではないかと思ったが、新しいロボットには潤滑剤をスプレーで吹きかけてやり、波打ち際では自分が海側を歩くようにして、ロボットに海水がかからないように配慮していた。そんなに心配なら海に行くなよと思ったのはわたしだけではないと思うが、ドッグは季節のイベントをしっかりやりたい犬なのでしかたない。というか80年代はネットもないから、外に出るしかなかったのだろう。でも、80年代なのにロボットはあるのか、思わず突っこんでしまう)
ここで視点が変わる。内装業を営むラスカルは、ある日、ロボットを作ろうと思い立ち、スクラップ工場で材料集めをする。ドッグのロボットの頭と片方の足を手に入れた彼はロボットを作り始める。胴体はカセットデッキで代用。ロボットは以前とは違う姿になったが見事復活を果たす。ロボットはラスカルの仕事を手伝いながら充実した日々を送るようになる。
夏のある日、ラスカルとロボットが夕飯の準備をしていると、向かい側の道にドッグと知らないロボットが歩いているのが見える。ロボットは、やっとドッグを見つけたと走り出す。ドッグが信号待ちで足を止めたので、ようやく追いつく。ドッグの肩に触れようとした瞬間、ロボットの肩にラスカルが触れる。ロボットはドッグに触れようとした手を引っ込める。ラスカルが実際に追いかけてきたわけではない。ラスカルの手を想像したのはロボット自身だったのである。
それは、ロボットが「今、一番自分の近くにいてくれる人を大事にしなきゃね」ということに気付いた瞬間のように、わたしには見えた。過去のあの人は、もちろん素晴らしかったのだけれど、今のドッグには別のロボットがいる。ロボットもラスカルによって新しいロボットに生まれ変わり、ラスカルとともに生活をしている。もう、もとには戻れない。二人とも環境が変わってしまったのだから。(ここはさすがに号泣)
出会いと別れを描く、愛と友情の物語。誰かと一緒にいられる時間の尊さが象徴的に描かれていた。愛と友情は永遠には続かない。でも、生きていれば、またほかの誰かと出会える日もくる。さみしいけれど、以前と同じ時間は戻ってこないし、時間の経過によって同じ人間ではなくなってしまっている。ずっと同じ場所にはいられない。去る者は追ってはいけない。でも、思い出はずっと自分の中に残る。
本作に台詞は一切ないが、息遣い、効果音、生活音、街の音、80年代の音楽があり、アニメーションのなめらかな動きや鮮やかな色があるため、まったく物足りなさは感じなかった。普遍的なことが見事に描かれていて、本当に大人から子どもまで真に楽しめる映画だと思う。
(ひとり身のドッグが季節のイベント、共同体のイベントに関わろうとすると、ぼっち感が強調され、孤独感がマシマシになっていく描写がとても怖かった。365日、毎日通常運転で暮らしていきたいと改めて思った)