#読書感想文 絲山秋子(2010)『妻の超然』
絲山秋子の『妻の超然』を再読した。
無駄な贅肉が削ぎ落された端正な文体は実に簡潔で、するすると小気味よく読める。彼女が大衆的な作家ではないことが残念だ。おそらく、その原因は「隙のなさ」にあると思う。
(平然と自己模倣を繰り返し、冗長で冗漫な無駄な描写だらけで、同じ擬態語を同じページで使ってしまうような雑な作家の作品の方が、ベストセラーになっていたりするのは、本当に不思議な現象だと思う。)
本作は、3篇の短編小説から構成されている。
「妻の超然」の語り手は不倫される妻。タクシー運転手の友人の存在が何とも憎らしい。友人は経済的に自立した独身女性である。この妻も30代半ばまで会社員として働いていたのだから、自立できなくもない。なのに、彼女は専業主婦のままでいて、働こうとはしない。妻でい続けるために、あえて夫の浮気を放置している。結婚を継続させたいのは彼女の方なのだ。夫を憎み切ることができないため、あえて怠惰な自分のままでいる。感情はそう単純に割り切れないし、捨てることのできない夫もいる。主人公の決意が友人によって浮かび上がってくる。うまい構成だと思う。
「下戸の超然」の語り手は、恋人と破綻してしまう青年。若いカップルは、互いに潔癖なのだ。その潔癖さが同じ方向ではないので、徐々に歯車が狂いだしていく。この青年の頑なさは他人事ではなく、身に覚えがあり、ざわざわした。
「作家の超然」は、二人称で作家という職業を冷徹に眺めている。この作品には著者の姿が見え隠れする。
どの作品の主人公も、醒めていて、甘ったるさはない。それぞれの主人公の自己概念と自己愛が格闘しているような三編だった。
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