#映画感想文264『サントメール ある被告』(2022)
映画『サントメール ある被告(原題:Saint Omer)』(2022)を映画館で観てきた。
監督・脚本はマリア・ディオップ、出演はカイジ・カガメ、ガスラジー・マランダ。
2022年製作、123分、フランス映画。
フランス北部の町サントメールで、生後15カ月の娘を高潮の時間に波にさらわれるようにと置き去りにして殺害したとして、セネガルからフランスに渡った母親が逮捕される。容疑者のロランスは「この裁判で娘がなぜ死んでしまったのか明らかにしたい」と裁判の冒頭で他人事のように述べる。
その裁判を傍聴しているのが主人公のラマで、彼女自身もセネガル系の移民二世である。ただ、彼女は文学の研究者で、アカデミックポストを得て、マルグリット・デュラスの講義をしており、作家として本も出版している。子殺しをしたロランスは、もう一つの自分の人生であったとしてもおかしくない。そのような主人公を配置して、本作は進んでいく。
ロランスはセネガルの比較的裕福な家庭で育ち、フランスに留学する。母親には完璧なフランス語を話すように叩き込まれていた。ただ、途中で理系の勉強ではなく、哲学を勉強したいと方向を変えたことで、親からの支援が得られなくなり、大学にいられなくなり、社会保障もなくなり、次第に追い込まれていく。そして、セネガルに興味があると近寄ってきた年寄りのフランスの男(妻子あり)にすがりつき、ひどい抑鬱状態のなか、子どもを出産する。認知もしてもらえず、彼女は孤独に子どもを育てていく。
移民に向けられるまなざしの厳しさ。その国に生まれたことがまるで何らかの特権であるかのような錯覚と傲慢さ。
ロランスの指導教授は「話すのは完璧でしたが、論理的に書くことができず、ところどころ破綻しており、卒業論文を書けるレベルには達していませんでした。それにウィトゲンシュタインを研究したいなんて、おかしいと思いました。移民にとって身近で相応しいものをやればいいのに」と裁判で証言する。移民にふさわしい研究とは何なのだろう。ロランスは孤立する前から孤独であったことがわかる。
そして、男性検事は性差別的、人種差別的な発言を繰り返す。その様は空恐ろしいが、毎日移民女性に向けられているものなのだろう。それは監督自身が知っていることなのではないだろうか。
裁判を傍聴しているラマと容疑者のロランスが一度だけ、目を合わせる。もう一人の自分に「あなたはラッキーだっただけよ」と言いたげな視線に、ラマは無表情のまま動揺しているように見えたのが印象的であった。
ここ十数年、日本社会は安い労働力として「移民」を受け容れるか否かというトピックが時折話題に上っていたが、それも時すでに遅し。日本が安くなりすぎて、移民からも選ばれない国になってしまった。つまり、それはわたしたちが「移民」、ロランス側になる可能性があるということだ。世界の変化の速さにまるでついていけない。そんなことまで考えさせられた。