#映画感想文『ブラックフォン』(2022)
映画『ブラックフォン(原題:The Black Phone)』を映画館で観てきた。
心待ちにしていたわけでもなく、自分の帰宅時間やら、諸々のスケジュールとあうので観に行った。
全然期待していないと、むしろ、「面白い!」「当たった!」と感じてしまうのはなぜなのだろう。偶然、お宝を見つけた感じがうれしいのかもしれない。すごく期待して行った『DUNE 砂の惑星』がつまらなく感じてしまったときは、ものすごく落ち込んでしまった。(シャラメは悪くないの、わたしが悪いの笑)
監督はスコット・デリクソン、主演のメイソン・テムズは本作がデビュー作で、彼の妹役がマデリーン・マックグロウ、殺人鬼役がイーサン・ホークである。(日本の配給は、製作がブラムハウス・プロダクションであることを強調しており、今ノリに乗っている会社のようだ)。
2022年製作、104分、アメリカ映画だ。
わたしは、ホラー映画があまり得意ではない。残虐なシーンでは、目をつぶってしまうし、顔を背けてしまうことも多い。
本作は、まさに手に汗握る展開だった。
わたしは映画の中盤以降、主人公のフィニーに対して「頑張れ、頑張れ、あともうちょっとだ。頑張れ、頑張れ。泣くな。くじけるな。頑張れ。頑張れ。頑張れ。ああ、妹の予知夢、遅い。警察、遅い」と心の底から応援してしまった。
鑑賞後に読んだデリクソン監督のインタビューも興味深かった。
誘拐や殺人、強姦も、単なる虚構ではなく、身近な出来事であったというのは、わからなくもない。日本の戦前、戦後、昭和の時代は平和でも何でもなく、猟奇的な事件もたくさん起きているし、未解決事件や検挙すらされていない事件も加えれば膨大な数になるのだろう。背筋が凍るような、心細くなるような子ども時代の記憶はわたしにもある。
女子供というのは、あまりに搾取されやすく、支配され、暴力で痛めつけられてしまう。しかし、弱いからといって、好き放題やっていいわけではないし、無抵抗というわけでもない。
そして、フィニーの地下室での抵抗を見ているうちに、すんごい難しいファミコンのゲームをやらされているような気分になった。(もちろん、名作ではなく、クソゲーと呼ばれるようなソフトである)初代PSとかのホラー作品の風味もあったような気がする。
殺人鬼のグラバーの「マイルール」が本当に気持ちが悪い。すぐに殺すのではなく、グラバーのルールを破ったという理由でいたぶるのだ。
映画の冒頭と終盤のフィニーは、容姿はまったく変わっていないのに、まるで別人のように見えてくる。自分で自分の身を守れる、というのは自尊心を高め、自信にもなるのだな、と改めて思わされた。そして、兄と妹の信頼関係、友情にも似た関係性もいいなと思わされた。
やっぱり、アメリカの大きな家にある地下室って、よからぬことに使われ過ぎである。日本の狭小住宅、うさぎ小屋でも、事件は起こるが、発覚する確率もすごく高いので、住宅の密集も悪いことばかりではない、という気がしてくるから不思議。
原作者のジョー・ヒルは、スティーブン・キングの息子さんだそうで、お父さんとそっくりそのまま同じ道を歩んでいることにちょっと闇を感じるが、原作も読んでみたい。
殺人鬼役のイーサン・ホークは14歳でデビューし、51歳なので、40年近くの俳優としてのキャリアがある。14歳当時に共演したリバー・フェニックスは、23歳で亡くなっている。心身ともに健康で、新しい仕事にどんどんチャレンジできるイーサン・ホークの人生が本当にうらやましい。イーサン・ホークはそのことの大切さがよくわかっている人のような気がする。そうじゃないとこんなにたくさんの仕事はできないと思う、