#読書感想文 角田光代(2009)『しあわせのねだん』
角田光代のエッセイ『しあわせのねだん』を読んだ。
2009年に新潮文庫、初出の単行本は2005年に晶文社から出されている。30代半ばの著者の日々が、お金という観点から綴られている。
読んでいて、刺さったのは、20代のお金の使い方がその後の人生を決める、というものだった。p.169からの「一日」の章に書かれている。
20代のわたしは、ほとんど可処分所得がなかった。ゆえに自分自身を形成するほどの支出をしていたのかどうか非常にあやしい。
本や漫画は、あまり我慢せず買っていた。仕事のための道具、資格取得のためのお金は使ったかな、と思う。
そう、お金は使ってはじめて、意味が生まれる。角田さんは、貯金額を自慢する人が空っぽであったことを指摘しているのだが、貯金が人生の目的になっている人もいる。その気持ちは理解できるのだが、ひたすらお金を貯めたところで、死んだらどうするんだとも思う。手続しなきゃ、結局国庫に入ってしまうのだよ。
大学生のとき「お店の焼き肉なんて、高くて食べられない!」と思っていた。でも、今は、そもそも肉や白米がそんなに食べられなくなっている。食べられるうちに食べておけばよかったな、と思う。それは旅行なんかも同じことが言える。
長生きして、路上で野垂れ死ぬのは怖い。でも、そのために今、吝嗇家になることが得策だとも思えない。今の我慢が、未来のためになるとは限らない。稼げるように、働けるように、心身ともに健康でいることが大事。
お金はすごく大事なものだ。お金があるからこそ、自由に生活することができる。その一方で、お金を増やすことにはあまり興味がなく、真剣に考えたことがないのも、また正直なところである。ある程度、元手がなければ投資をしたところで、利益なんて微々たるものだ。でも、不労所得がほしい気持ちはすごくある。節約をしたり、ケチケチしたりでは限界がある。ただ、お金があったら、働かず、本当に世捨て人のように誰とも関わらず、ひきこもってしまうような気もする。それはそれで、考えものだ。
角田さんは飲み代はケチらない。つまり、それは交際費は削らない、ということを意味する。リア充だ。
文庫本のあとがきの「精神的に追いつめられていたとき、30万円のソファテーブルを買ってしまった」という衝動買いの話も興味深かった。わたしは、つらいとき、ヤケ食いとふて寝をするぐらいなので、大した出費にはならないのだが、気絶するほど食べたい、永遠に寝ていたい、という衝動には抗えない。
このエッセイで、角田光代は自分自身の秘密や本音は、ほとんど明かされていない。しかし、自分自身のお金の付き合い方を振り返るきっかけにはなるだろう。路上の(募金)詐欺の話なんかは、わたしも身に覚えがあるのだが、またほかの記事として書きたいと思う。
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