#映画感想文303『風よ あらしよ 劇場版』(2024)
映画『風よ あらしよ 劇場版』(2024)を映画館で観てきた。
監督は柳川強、脚本は矢島弘一、出演は吉高由里子、永山瑛太、松下奈緒、美波、稲垣吾郎。
2023年製作、127分、日本映画。
この映画は、伊藤野枝と大杉栄を勉強するために観に行ったのだが、オープニングに「劇場版」と出て、まずいと思った。劇場版ということは、つまり、ドラマがあり、もしや、本作は総集編なのではないか、とテンションが一気に下がった。
ただ、席に座っているので仕方がない。最後まで鑑賞することにした。
伊藤野枝(吉高由里子)は、親戚の援助を受けながら、東京の女学校に通っている。しかし、卒業後は田舎に戻され、結婚させられることが決まっている。好きでもない相手と結婚して、子どもを産むだけの暮らしは嫌だと彼女は思っている。そんなとき、授業で教師の辻潤(稲垣吾郎)が平塚らいてふが創刊した雑誌「青踏」を紹介する。原始女性は太陽であった、という言葉に衝撃を受けた伊藤野枝は結婚を取りやめ、「青踏」で働きたいと手紙を出す。そんな彼女の身元を引き受け、結婚までした教師の辻も、最初は良き理解者だったが、徐々に駄目な男になっていく。家父長的な態度を取り始め、子育てにも、まったく関与しない、ただのプータローになってしまう。
そして無政府主義者の大杉栄(永山瑛太)と出会い、二人は惹かれ合う。心が通ったと思った野枝は突っ走るものの、奥さんと愛人がいる座敷に上がり込んでしまう。自由恋愛をしようと大杉に持ち掛けられるものの、野枝は毅然と主張する。自由恋愛をしてメリットがあるのは男だけで、女は淫乱売女と罵られ、石を投げられるリスクがある。自由恋愛なんて男による女の搾取にすぎない、と。大杉栄のすごいところは、そのことをきちんと理解して、自分の誤りを素直に認めるところであったと思う。二人は、その後、一緒に暮らすようになり、子どもも生まれる。二人をより強く結びつけたのは、足尾銅山事件であり、二人は国家権力の暴走を批判し、無政府主義の啓蒙活動を展開していく。彼らの主義は、政府による管理ではなく、市民による助け合いによる社会を目指そう、というものであり、理想主義的で魅力的でもあったことは確かだ。
一度、公務執行妨害で逮捕されてしまった大杉栄を釈放せよと内務大臣に伊藤野枝は手紙を書くのだが、その相手は後藤新平で、大杉は釈放されることになる。
そして、1923年の関東大震災の際、憲兵の甘粕正彦に目をつけられていた二人は逮捕され、刺殺され、道半ば、志半ばで亡くなってしまう。
伊藤野枝も、大杉栄も、恋愛体質だったのだなと思う。まあ、政治活動するような人は、いろんなパワーがみなぎっている人たちだから、恋愛に淡泊というほうがおかしいかもしれない。
また、大杉栄には少し吃音があり、それをナチュラルに演じている永山瑛太はすごい役者さんだと思った。
ただ、ここからは愚痴になるので、あしからず。
やはり、ドラマを編集したものだから、顔のアップが多すぎて、カットが映画的ではないシーンが多い。太秦で撮っているから仕方がないのだとしても、映画だと空撮で、その土地の空気を伝えたりするものだと思うが、セット感がすごい。画面に広がりがない。
そして、クライマックスに向かう緊張感に欠ける。あと、BGMが信じられないほど、ダサい。大事なシーンで、さざ波みたいな音が流れるのだが、あれは何なのだ。古き良き日本映画というわけでもないし、現代映画でもなく、豪華な二時間ドラマだった。
シネマティックって、曖昧模糊としたものだと思うが、それがないことは、何だかわかってしまう。何があるとシネマティックな作品になるのかはわからないのだが、ないものにはない。
人間の生臭さを消さないと、テレビでは放送できないのかもしれない。ただ、映画にはその生臭さがないと、どうにも消化不良といった感じになってしまう。
ただ、非常に教育的で勉強にはなったことは確か。これから原作の小説も読みたいし、伊藤野枝、大杉栄に関する書籍も読んでいきたいと思っている。そういう意味では見てよかった。ただ、くどいようだが、映画ではなかったと思う。
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