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#映画感想文257『それでも私は生きていく』(2022)

映画『それでも私は生きていく(原題:Un beau matin)』(2022)を映画館で観てきた。

監督・脚本はミア・ハンセン=ラブ、主演はレア・セドゥ。

2022年製作、112分、フランス・イギリス・ドイツ合作。

夫を亡くしたシングルマザーのサンドラ(レア・セドゥ)は、通訳や翻訳の仕事をしながら、8歳の娘とパリのアパートで暮らしている。サンドラの父は認知症を発症しており、徐々に家族の名前も思い出せなくなっていく。

サンドラは仕事、介護、子育てに追われながらも、夫の友人であったクレマンと再会を果たし、恋に落ちる。ただ、クレマン(メルビル・プポー)には事実婚の妻と息子がおり、家庭を持った男性との不倫ということになる。

三十代の女性の日々の葛藤が描かれており、それは中間管理職の悲哀にも似ている。良き娘でありたいけれど、父親は恋人の名前しか覚えていない。娘は可愛いものの、小さな反発を繰り返す。恋人はなかなか奥さんと別れてくれない。うまくいかないけれど、さびしさに囚われている暇はない。プライベートが原因で通訳の現場で失敗もする。でも、落ち込んでいるわけにはいかない。

この映画のレア・セドゥは前半はかなり抑制的なスタイルで寒色の服ばかりを着ているが、後半に進むにつれて、華やかな女性らしいスタイルになっていく。おそらく冬から春への移り変わりが彼女の心情がリンクされているのだろう。

英語のタイトルは『One fine morning』で、これは父親のメモに走り書きされていた言葉である。ある晴れた朝の日。こちらの方が、やはりタイトルには適当な気がする。(『それでも私は生きていく』だと、苦難に満ちた女性の波乱万丈な、放浪記のような、女一代記みたいな話を想像してしまうので)

パリの市井の人々の等身大の暮らしが描かれ、派手さはないが、共感を覚える人も多いのではないだろうか。

また、中年男女がくっついては別れてはを繰り返し、結局、よりを戻すさまにはリアリティがあった。悲しいかな、新しい人とすり合わせをするより、馴れ親しんだ、身元が安全な人と恋をしたほうが楽なのだ。年を取ると、いろんなことが面倒くさくなり、保守的になってしまう。子どもがいると冒険すること自体がリスクになる。(ヤバい男と付き合ったら、子どもの人生まで滅茶苦茶にされてしまう)

近年のレア・セドゥの活躍ぶりを見ているからこそ、こういう地味な女性の役はほかに適任者がいたのではないか、という気になってしまったのも事実である。とはいえ、彼女が近いうちにフランス大女優に仲間入りすることは間違いないので、チェックし続けたいとは思っている。

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