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#映画感想文341『憐れみの3章』(2024)

映画『憐れみの3章(原題:Kinds of Kindness)』(2024)を映画館で観てきた。

監督はヨルゴス・ランティモス、脚本はヨルゴス・ランティモス、エフティミス・フィリップ、出演はエマ・ストーン、ジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォー、マーガレット・クアリー、ジョー・アルウィン、ママドゥ・アティエ、ハンター・シェイファー。

2024年製作、165分、アメリカ・イギリス合作。

本作は3つの異なる物語を大体同じキャストが演じるという不思議な構成の映画である。

タイトルは「R.M.Fの死」「R.M.Fは飛ぶ」「R.M.Fサンドウィッチを食べる」の3つで、R.M.Fというおじさんだけは、3作を通じて同一人物なのかもしれない。R.M.Fには台詞がなく、うるんだ瞳を見せるだけなので、どんな背景のある人物なのか、よくわからない。

まず「R.M.Fの死」はロバート(ジェシー・プレモンス)が主人公。ロバートは社長のレイモンド(ウィレム・デフォー)に食事から性生活、結婚相手、家、家の暗証番号まで、すべてコントロールされている。これまでロバートはレイモンドに忠誠を誓い、服従してきた。しかし、今回の命令はR.M.Fという男の車に車を衝突させて殺せ、というもので、さすがに殺人はしたくないとロバートは拒否する。すると、レイモンドにあっさり捨てられてしまう。生活のすべてだったレイモンドの支配から逃れられてラッキーとはならない。あてがわれた妻(ホン・チャウ)も出て行ってしまうし、転職しようと知り合いに会いに行っても門前払いを食らう。このままではまずい。ロバートはレイモンドの洗脳から脱するのではなく、レイモンドに許しを請う。許してもらうためにはどうすればいいのか。ロバートはレイモンドに愛されんがために狂気の道を進む。人はそこまで孤独を恐れるものなのか。被支配者は支配されることをいつのまにか望むようになるのか。

次は「R.M.Fは飛ぶ」。ダニエル(ジェシー・プレモンス)は警官で、海で遭難していた海洋学者の妻(エマ・ストーン)が発見され、自宅に戻ってくる。歓迎すべきはずの妻に違和感を覚える。妻は嫌いだったはずのチョコレートをむさぼり、靴を履くのに苦労している。ダニエルの好きだった曲も覚えていない。ダニエルは妻の顔をした見知らぬ女を試すかのように「君の指をカリフラワーと炒めて持ってきて」「貧血気味だから君の肝臓が食べたい。鉄分豊富だろう」と、とんでもない要求をつきつける。果たして妻がどのような行動をとるかは、本作のテーマが支配と服従であると考えると、おのずと結論が導かれるのだが、直視できないシーンが何分も続いてきつかった。

最後に「R.M.Fサンドウィッチを食べる」。エミリー(エマ・ストーン)はセックスカルトの新興宗教に入った家出妻(母親)である。教祖(ウィレム・デフォー)のために、新しい信者のスカウトなどをしている。教祖様にも宗教にも心酔しているのだが、家族のもとにたびたび帰ってしまう。そして、復縁したいと思っている夫に薬を盛られ、寝ている間にレイプされてしまう。夫と関係を持ったことが教団にばれ(彼女は被害者なのだが)、エミリーは汚染されていることを理由にカルト教団から追放される。エミリーは信頼を取り戻そうと、必死に行動をするのだが、手段を選ばず、めちゃくちゃなことをし始める。

本作の見どころは、支配されている側の人間の行動力のすさまじさである。目的達成のためには犯罪行為に手を染めるし、法律違反かどうかも、まったく意に介さない。支配者に褒められるためには、愛されるためには、何でもする。誰かとのつながりがないと生きてはいけない人間の弱さでもあるし、生きる実感を得るために過剰な行動を取ってしまう人間の性でもある。ドーパミンとアドレナリン、エンドルフィン、オキシトシンを分泌させてくれる誰かを希求するのだろう。人間は簡単に洗脳されるし、誰かに支配された方が楽だという怠惰ゆえの思考停止もある。

シビル・ウォー』に引き続き、体に悪い映画だった。ジェシー・プレモンスは確変に入ったので、「あ、あのマット・デイモンに似ている人ね!」は、今後一切禁句である。「キルスティン・ダンストの旦那ね」は大丈夫。

(わたしの行動力が足らないのは、自己洗脳ができていないせいだと思った。心の中にセルフ教祖を作ればもっと頑張れるのか。いや、そこまでセルフサービスで全部はすまないのだろうけれど)

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