#映画感想文『わたしは金正男を殺してない ASSASSINS』(2020)
ライアン・ホワイト監督の『わたしは金正男を殺してない』を映画館で観てきた。製作はアメリカである。
マレーシアのクアラルンプールの空港で、2017年2月13日の白昼堂々、金正男が暗殺されたことは、記憶に新しい。
監視カメラ、衆人環視も、ものともせずに、この暗殺は遂行され、貫徹された。私は、こんなに簡単に人を殺せるものなのか、と驚いたことを覚えている。実行犯の女性二人は、北朝鮮に忠誠を誓った、軍事訓練を施された工作員なのだろう、と勝手に思い込んでいた。そうではなかったことが、この映画では、つぶさに描かれていく。
まずは、インドネシア人のシティ・アイシャとベトナム人のドアン・ティ・フォンがなぜマレーシアにやって来たのか、という経緯が説明される。
次に、この二人が暗殺するまでと、暗殺したあとの足取りが明らかにされる。はたからみれば、工作員にしては、ひどく間が抜けている。彼女たちは暗殺者であるにも関わらず、どこにも逃げようとせず、空港近くのホテルにとどまっていた。彼女たちは、自分たちがいたずらビデオの出演者だと、犯行後も信じている。ただの駒として北朝鮮に利用され、何も知らずに犯行に及んでいたのである。
そして、見ず知らずの二人の人生が交わり、裁判に向かっていく。
マレーシアの闇も、マレーシア人のジャーナリストによって淡々と明かされる。(彼の名前は、アズミなので、もしかしたら、日系なのかもしれない)マレーシアには、より豊かになるために周辺国から多くの人がやってくるらしい。ただ、夢を持って来た女性たちの中には、売春をさせられているケースも少なくない、という。貧しい農村出身である彼女たちは、不本意ながら、生きるためにその仕事をする。
インドネシア人のシティは、小学校までしか行っていない。すぐに工場で働きはじめ、その経営者と結婚し、17歳で子どもを産み、工場労働(繊維産業)に疲れ果て、すでに離婚までしている。もちろん、彼らが作っている洋服は、先進国の人々が着るファストファッションである。彼女の貧困と、私たちは決して無関係ではない。
一方、ベトナム人のドアンは、大学を卒業している。会計を学んだが、就職口はなく、水商売で働きながら、女優を目指している。学歴があっても、そのあとが続かない。おそらく、社会主義国であるベトナムは、目に見えない縁故主義が徹底されており、またベトナム共産党の党員でなければ、まともな就職は難しかったのではないかと考えられる。当然、女性差別といった側面もあるだろう。ただ、共産主義国であるため、男女ともに働くのが当たり前だという文化であることは間違いない。ただ、どこの社会にも、本音と建て前は、厳然と存在している。
もちろん、日本にも縁故主義はあり、「普通」の人々にとっては、新卒採用は苛烈であり、不平等極まりない側面もある。しかしながら、優秀であったり、愛想がよかったり、ルックスの良さを突破口に、人生を切り開いていける「ゆるさ」もある。私は今の日本に対して絶望しているが、豊臣秀吉や田中角栄といった出自がそれほどよくない人が、才覚を認められフックアップされ、天下を取ることのできる社会は、すごいことだと思っている。
(フックアップ文化が唯一の日本の美点だといってもいいくらいに個人的には思っている。また、フックアップする目と力のある人が減っているのだとしたら、いずれ取り返しのつかないことになるだろう)
二人に話を戻そう。彼女たちは、物を知らず、簡単に人を信用してしまう世間知らずである。それに加えて、彼女たちは、故郷から離れ、親類縁者の支援も受けられない根無し草で、お金に困っている。これらの条件がそろっている人物を北朝鮮は探していたのである。また、若い女性であれば、空港にいる人々にも不審がられず、金正男に警戒されずに近づくことができる。もしかしたら、途中で何かがおかしいと気が付き、彼らの計画から離脱した女性もいたのかもしれない。
彼女たちが、殺人罪で起訴されれば、死刑執行は免れない。インドネシア人とベトナム人の二人を救おうとしたのは、マレーシアの弁護団である。彼らは、この不公平な事態を黙認せず、言論の自由もそれほどないマレーシアの検察と闘っていく。この映画の最大の救いは、そこにある。政府が腐りきっていたとしても、人間の正義と知性は存在しうる。ただ、彼らがいなかったら、この映画も存在せず、彼女たちの死刑が執行されていたのかもしれない。そう思うと、ぞっとする。
インドネシア人のシティは、インドネシア政府とマレーシア政府の秘密裏の交渉により、ベトナム人のドアンより先に、故郷へ戻ることができる。ベトナム政府は親北朝鮮であり、北朝鮮を刺激しないように、動いていなかったらしい。その不平等をジャーナリストも指摘していた。
故郷の田舎に戻ったシティはそこで北朝鮮の工作員たちに「おまえの人生は取るに足らない。無意味な人生だと言われているようで悔しい」と涙ながらに語った。
そのさまを見て、私たちは暗殺に荷担させられることはないが、「おまえたちなど取るに足らない」というメッセージに、日々傷つけられているような気がした。
日本においては、貧困も自己責任で、二十代の死因の一位は自殺である。途上国よりも、深い絶望に覆われている人々も少なくないのではないか。政府と癒着している電通やパソナが中抜きして儲ける構造に異論はあるが、暴動は起きない。人々は緩慢に死んでいく。私たちは日々忙しくて政治的なことを考える余裕も、政治的な活動をする暇すらない。こんなに統治しやすい国民がほかにいるだろうか。
その一方で、私たちはグローバリズムの搾取構造の恩恵をうけ、安価なファッションを楽しみ、品質の悪くない製品を手にし、クオリティの高いサービスを受けることができている。グローバル規模の搾取構造があるからこそ、低賃金ながら、なんとか生活していける。グローバリズムは止められないし、止めるべきではない、という経済学者の主張はわかる。ただ、この構造はいびつで政治的には正しくない。
ベトナム人のドアンが女優をあきらめない様子やふるまいは、ある種の現代的な病に見える。昨今、facebookにYouTube、インスタ、SNSから誕生したスターは少なくない。チャンスは至る所に転がっている。何者かになれるはずだ、と頑なに信じている。ただ、その夢が彼女の首を絞め続ける。そのことに彼女は気が付いているが、どこに引き返せばいいのかもわからないのかもしれない。
この映画で、新たに知ることも、興味深くはあったのだが、それを上回る感動は、その編集の見事さである。
テンポがよく、一切の無駄がなく、演出が非常に洗練されている。時系列で、時間と場所が、その都度示され、もたつく箇所がない。
映像的なスタイリッシュさだけでなく、証言をする弁護士たちの映し方で、彼らの人柄がごく短い時間で描写される。映像を見ればわかる。そのことの意味を監督はよくわかっている。弁護士たちの真摯な仕事ぶりが気持ちいい。この映画においては、彼らが間違いなくヒーローなのである。
そして、教育映像のようになってしまいがいちな日本のドキュメンタリーと比べると、エンターテイメントとしての快楽もあった。だらだらせず、情報がきちんと交通整理されたうえで提示される。金正男の暗殺事件の顛末がわかってよかったのはもちろんのこと、ライアン・ホワイト監督を知ることができたのが最大の収穫である。映画は食わず嫌いせず、雑食でいこう、と思わせてくれた。
以下、覚え書きである。
この暗殺事件の主犯格の男の名前は「ハナモリ」で、彼女たちは、日本のドッキリ動画に出演できると聞いて、彼らに協力をした。「日本」とは、彼らにとって、使いやすい記号なのだろう。
金正男がCIAの情報提供者になり、金正恩の世襲を批判したことが暗殺の引き金になったという。また、ディズニーランドを目的に日本に偽造パスポートで入国したのを日本の警察に密告したのは、金正恩の母親である高容姫だったらしい。こんな話が続くと、もはやソープオペラである。むしろ、そっちの話をもっと聞かせて聞かせてモードになってしまった。
金正男の偽造パスポートの名前は中国語で、「太った熊」だったという。いい加減すぎる偽造パスポートだが、奇妙な符号がある。ベトナム人のドアンは、工作員にテディベアを渡され、練習するように命じられる。背後から近づき、目隠しのようにして、目に触れる練習を大きな熊で行っていたのである。意図的であってもなくても、明確な悪意を感じる。
金正男が暗殺された空港の映像は、テレビ朝日にいち早くリークされていたらしい。ちゃんとスクープ映像を入手していたわけである。日本のジャーナリストが働いていることに安堵した。
情報戦では、北朝鮮のレベルは相当に高いのではないだろうか。金正男も、すべてを把握されていることに気が付いていたはずだが、大勢の人々がいれば安全だと思い、警戒をゆるめていたのだろう。そこを狙う計画もすごいが、その暗殺を見世物にして、世界中にその狂気を見せつけてやれ、という豪胆さが恐ろしい。
現在の北朝鮮の体制維持は、金正恩ではなく、母親の夢なのだとしたら、母親の欲望を自分の欲望であるかのように思い込んでいる自分に気が付く日が来たらどうなってしまうのだろう、と思ったりもした。ゴシップ的な家族の話にわくわくしてしまった。(私って下世話よね)
マレーシア人ジャーナリストのアズミさんは、常にリングノートにボールペンでメモを取り続けている。やはり、紙とボールペンは利便性が高いのだな、私もリングノートとボールペンを携行せねばと思った。ただ、これを書きながら、彼は冒頭で、マレーシアには言論の自由がない、と述べていたことを思い出す。
iphoneのメモ帳やEvernoteとかGoogleも、ハッキングされる(されているおそれがあり)彼は危険だと知っているのかもしれない。そう考えると、紙とペンは最強のライフハックだとか言って喜んでいる場合ではない。言論の自由をまず守らなければならない。これに関しては、本当に他人事ではない。
この紫のポロシャツのおじさんが、ハナモリさんです。リ・ジェナムさんっていうのね。
オリジナルタイトルは『ASSASSINS』である。暗殺者の複数形なので、彼女たち二人を指しているのか、北朝鮮の工作員を指しているのか、あるいはその両方なのか。どちらなのだろう。