仕事を辞めたいと思っているあなたへ/23歳教員が休職に至るまでの激務の日々を振り返ってみた
今回は、僕が教師という仕事を休職するに至った経緯を書いてみようと思います。これを読んでみようと開いてくださった方々はきっと、今のお仕事を辞めたい、休みたいと考えていらっしゃるのではないかと思います。
日本人はよく勤勉で働き者だと言われています。僕もあなたも、紛れもなくその一人なのでしょう。だから、「最後まで頑張らなくては…」という責任感と思い込みに体を支配され、自分の意思に反して働いてしまう。
朝起きても体が動かない、憂鬱な気分が続く、食事が喉を通らない、逆に食べ過ぎてしまう等…。
思い当たる節はありませんか?
僕は心療内科の医師でもなければ、カウンセラーでもありません。
ですが、鬱や適応障害の診断を受けて現在休職中の人間です。
皆さんの気持ちが、少しはわかるつもりです。
特に若い方、今の仕事の経験が浅い方は、
「若いんだからもっと頑張らなきゃ。」
「そのくらい社会では普通だよ。」
などと思ってしまい、あるいは周囲にそう言われてしまい、感覚がマヒしているのではないでしょうか。
僕もそうでした。
周りの言うことも、自分自身でそういう考えに至ってしまうことも、わかっていますが、自分自身を壊してまで、文字通り身を粉にしてまでそうする必要があるのでしょうか。
そんな、仕事について悩みを抱えている方に向けて、ちょっと語り風に書いていますので、まあ、少しだけでも読んでくださったら幸いです。
休む、辞める、何らかのアクションを起こせる勇気ときっかけを与えたい。
その一心で書きます。
前置き
誤解を招かないよう、最初に申し上げておきますが、この記事は教師という仕事のイメージを下げたり蔑むために書くわけではありません。特定の個人を誹謗中傷するつもりもありません。
この記事を書く筆者の思いは、前述の通りです。ご承知おきください。
1⃣ある朝、布団の中で…
いつも通り午前3時半に目が覚めた。あれ、目は開いているのに体が動かない。目覚めた瞬間から仕事のことが頭に流れ込んできて憂鬱になり、涙が出る。
そして思った、
「あ、限界だ。」
そう思った瞬間、気持ちの糸がぷつんと切れた感じがした。朝から仕事をたくさん片付けなければいけなかったのだが、何もかもがどうでもよくなって時間ギリギリまで布団の中で眠りについた。
眠れないまま、3時間が経った。6時半。すぐにでも準備をして向かわなければ遅刻してしまう。風呂に入り、支度を急ぐ。朝食も取らず、時間ギリギリで家を出たがバスに間に合わなかった。せめてタクシーを捕まえよう。そう思い手配するも、家への到着時間、最寄りまでの走行時間を聞き、電車に間に合わないことも分かった。再びつながりかけていた気持ちの糸が、またぷつんと切れた。ここ数週間、こういう朝が増えてきている。
今度はリビングで動けなくなった。うつむき黙る自分に家族が心配して声をかけてくるが、何も耳に入らない。心配をかけていることにも嫌気がさし、カバンを置いて家を飛び出した23の朝。
年甲斐もなく大泣きしながら近所を徘徊した。コンビニでいつもの不健康メニューを買い、公園で食べた。小学生が登校している前でだ。泣きながら揚げ物をほおばる姿は完全に不審者である。ぼーっとしているうちに8時が過ぎた。スマホを見ると父から鬼電が。一言謝罪のLINEを入れ、そのうち帰ると言い、学校へ連絡することにした。
欠勤の連絡は初めてではない。しかし、理由が理由である上に、体育祭シーズン。定期テストも近い。担任、そして部活の事も考えると...。職場も深刻な人手不足に悩まされているところであるため、簡単に休むわけにはいかない。それはわかっている。わかっているが、行きたくないのだ。出勤すれば、自分の中の何かが壊れる。そう直感していた。
時間ギリギリで、意を決して電話を入れた。他学年の先生が出た。熱があると伝えたが、「何時にこれそうですか?今体育祭とかでみんな忙しいってとこですが...。」と言われた。何も言えなかった。埒が明かないと思われたのか、その後も、学年副代表、先輩へとたらいまわしにされ、同じような言葉をかけられる。休みたいという意思を通せなかった。
最後に出たのはいつも本当にお世話になっている兄貴だった。兄貴は「いや、それは休まないと。管理職とかには私からうまく言っておくから!なんも心配しないでゆっくり休んで」と言ってくれた。そのおかげで無事休むことはできた。
幸い金曜日だったため、土日は指導員に部活を任せて少し休める。そう思い家に戻った僕は、静かに眠りについた。
2⃣校長へ直談判
土日の部活は、指導員が私用で休むとのことだったので、急遽オフにした。それでも心身の状態が良くなることはなく、週明けの事を思うと不安で押しつぶされそうだった。教員2年目の僕は、これまでも同じ状況になったことはあった。しかし今回は違う。授業の事を考えるのも、部活の事を考えるのも、子どもたちの顔を思い浮かべるのすら嫌で、気持ちは完全に切れていた。眠ることもできなかった。何も考えたくなくて、いつも以上に食事をとった。
半分ヤケクソだったのだろう、何のアポも入れず校長が休日出勤をしていることにかけて、学校へ行った。幸運なことに、働いていらっしゃった。休んだことを謝罪しつつ、全てを打ち明けた。申し訳なさと情けなさで、校長の顔を見て話すことができなかった。ただ現状から逃げたい一心で、半泣き状態で話した。校長は僕の言葉一つ一つに耳を傾け、真剣に話を聞いてくれた。正直、自分はどうしたいのか、何故校長のもとを訪ねたのかわからなかった。
結果、「落ち着くまで休み」という中途半端な状態で話は終わってしまったが、心を回復させる時間はできた。そこから約2週間、教員の働き方や在り方、自分はやれるところまでやれたのかなど、ひたすら考え直し、周りの社会人の働き方などにも視野を広げてみた。
そこで僕は、自分が異常な働き方をしているのだと気づいた。いや、気づいたというより、思い出した、再認識したという方が正しい。大学時代に勉強してきたから。長時間残業なんて当たり前の世界。部活はボランティア。未経験でも経験者以上の指導を求められる重圧。保護者や生徒の方が立場が強く、どんな理不尽でも頭を下げなければならない仕組み。本当に力を入れて取り組みたい「授業」や「クラス経営」に尽力できないほど、関係のない業務であふれかえる学校現場。
すべては「子供のため」「みんな同じだから」という魔法の言葉で正当化される。実際に働いてみて、その苦しさに気づいた。いくら子供のため、みんな同じ道を通ってきているとはいえ限界がある。若すぎた自分は体力に自信があるから大丈夫、できると思ってしまったんだ。けど、目には見えない心の疲労が蓄積して、悲鳴を上げた。労働環境が変わらない限り、僕や僕以外の同じ思いをしている教員の苦しみはなくならない。現状を変えるにも力はないし、その立場に上り詰めるまで体がもつ気がしない。
だから、やめることにした。
3⃣先生との対話の中で
管理職に勧められて心理カウンセラーとの面談を受けてみた。自分の状態を聞くに、軽い鬱だと言う。過食による体重増加(+15㎏)、極端に短い睡眠時間(3~4時間)、不安で目覚め眠れない、早朝は体が動かない、憂鬱な気分が続いていて、生徒や先輩教員の前に出るのがとても怖いなどなど...。
どれも、社会人になれば当たり前の事なのだと思って受け入れていた。誰だって太っているし、仕事をしていれば睡眠時間だって短いもの。ブルーマンデーという言葉があるくらい、労働は憂鬱なもののはず。それを普通と思って受け入れたのがまずかったのだと気づいた。知らず知らずのうちに体にガタが来ているのに気づけなかったからだ。
心療内科からは、薬と診断書が出た。同時に「これからはもっと自分のために生きましょう。」と優しい言葉をかけてもらえた。生まれて初めて、自分のペースで生きていっても大丈夫なんだと安心感に包まれながら診断書を抱え、病院を後にした。
これからは心を休めながら、次の世界で働くことを想像し、楽しい毎日を過ごせたらいいなと思う。
人生初の転職。次はどんなお仕事ができるのかな...。
あとがき
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
何か思うところはありますでしょうか?共感していただけているでしょうか?
筆者が休職に至った一番の原因は、幅広い業務量による物理的な時間のなさでした。毎朝6時半に出勤し、夜の22時まで働くのが当たり前だったので、純粋に体力が持たなかったんだと思います。そしてその中で、生徒指導に対応するストレス、保護者からの圧、事務作業、授業準備の時間のなさ、授業の質の低下、余裕がなくなり子どもとの関係も悪くなり、過食に走る。という流れがありました。この生活を一年半。
学生時代の部活がブラック企業そのものだったので、自分ならできると思い込んでしまったのでしょう。過信した末、うまくいきませんでした。
社会人の先輩方からすると、やはり筆者の考え方は甘いのかもしれません。
ですが、時代の流れというのでしょうか、このような働き方はこの先生きていくのに向いていないと感じてしまうのです。
では、働き方の正解って何でしょうか。
筆者はこれから探していくつもりです。
皆さんはどう思いますか?
よかったら感想やコメントを頂ければ幸いです。