「今」にいたら、脱臼すらも治ってしまった。
こんばんは!
昨晩、娘が脱臼したんです。
原因は、私が手を引っ張ってしまったから。
そしてそこに囚われすぎて、
娘の心配をしつつ、
思考が完全に不安の中にどっぷり浸かっていました。
娘が痛がっているのに、
「やってしまった」
「責められる」
「みんなにひどいねって言われる」
そんなことが頭から離れませんでした。
私、ひどくないですか?
そこでまた、自己嫌悪に陥ったんです。
でも、ハッとして
「今」にいよう!と決めました。
そう、未来の起こるから分からないことに、無駄な思考を使っていたんです。
だから、未来ではなく、今、目の前の娘に全集中しよう。
そうしたら、
娘も落ち着いたのか、
痛みが引いたのか、
泣き止んで寝てしまいました。
そして、思ったんです。
そうやって思考が囚われている時、
それは未来に行っていて、今にいないんだってこと。
だって「今」にいたら
娘のこと以外、考えられません。
でも思考が未来に行ってしまうから、
無駄な心配をしてしまうんです。
だから、どうせ未来の心配をするくらいなら、
今の娘が、
痛みがなくなって
脱臼なんてなくなって
元気に走り回ってる姿を想像したんです。
そうしたら、
フッと軽くなりました。
そんな未来がいいなって。
そして結局、その通りになったんです!
あれだけ痛がっていたのに、
起きた時は痛がっていたのに、
本を読んであげたり、
楽しく遊んでいたら…
気づいたら手を動かしていて、
本をめくって、
走り回って、
無邪気に遊んでるんです!
本当にぐったり横たわっていて、
自分で起き上がることすら痛くてできない状態だったのに、
まるで世界が入れ替わったかのように
娘の様子が一変したのです。
それでも一応、心配なので、
病院へ行ったのですが、
なんの問題もありませんでした。
本当にホッとしました。
それで今回、多くの気づきを得ました。
まず、自己嫌悪や自己否定の原因は
まだ来ていない未来を勝手に心配して、
今にいずに、そこにフォーカスしてしまっていたということ。
今までは、そんなところにばかりフォーカスして、
無駄な心配を感情込めて考えていたので、
結局その通りになっていたのだということ。
さらに、その原因となる「手を引っ張ってしまった件」についても、
実はそのことが起こる前、少しイライラしていたんです。
でも、その怒りという感情はちゃんと感じようとしていたけど、
それを自分で処理しきれなかったんです。
だから本当は、それを自分でしっかり感じて、
「じゃあどうしたい?」と問うまで
落ち着くまで
自分と向き合えばよかったんです。
今回、そこをしていくんだよ。
自分の感情とちゃんと向き合うんだよ。
そして、どうしたいのか?をちゃんと決めるんだよ。
と念を押された気がしました。
未来は「今」作られているということ。
「今」にしか、私たちはいられないということ。
「今」感じられることを、ちゃんと感じること。
今までの癖で、
余計な心配をして未来に思考がいってしまったりするのは、
安心だからです。
安心が悪いことではありません。
でも、そこにずっといたいのであれば、それで良いけど、
私は成長したいし、いちいち自己嫌悪になったり、望まない現実になるのは嫌なんです。
「今」にいるのは
最初はとても怖い。
「今」を感じていると
「そんなことして何の意味があるの?」
「後のこと、考えないと大変なことになるよ。」
そんな声が聞こえてきます。
今までは、
その声が怖くて、
「今」にいられなかったんです。
でもその声には従わず、
「今」をとこんとん感じてあげる。
「今」思うことを、拾ってあげる。
簡単そうで、
すぐ引っ張られそうになる。
それでも、こうやって
「今」にいることで
嬉しかったり、気づきが起こったりと体感すると、
だんだんとこっちが当たり前になってくる。
そんな風に
自分を持っていきたいとおもっています。