「管理」と「監視」について考えてみた
Pepabo Managers Advent Calendar 2022の13日目、本日はペパボでCS室サブマネージャーをしております、めぐじょーよりお送りさせていただきます!
昨日はスプラ3にハマってる鹿児島エンジニアリングチームはやぴさんの記事でした!私もサーモンラン、めちゃくちゃハマってるので今度一緒にやりましょう🐟🐟🐟🐟 >はやぴさん
さて本題です。
私の中で、少し前に「管理」と「監視」について考える機会がありました。
というよりも、色々考えていたらその部分にたどり着いた、という感じでした。
今日はそれを文字に起こしてみたいと思います。
いろんな考え方があるかなと思うテーマなのですが、あくまで私の考えたもの、として読んでいただけると幸いです🙏!
「管理」と「監視」の間柄
目玉焼きの絵を描きたかったわけではないのですが、目玉焼きになってしまいました。ちなみに目玉焼きは塩で食べる派です。
マネジメントは「管理」がメインですが、「監視」をする領域もあると思ってます。絶対守らなくてはいけないものは「監視」しないといけない。
例えば勤怠の管理などが該当すると思います。
でも「監視」はあくまで「管理」の中の要素であって、「管理」がメインである必要があります。似て非なるもの。
黄身も大切だけど、黄身は白身があってそこにいられるわけです。(なんの話?)
次に「管理」と「監視」それぞれを改めて考えてみようと思います。
「管理」
OK Google、管理の意味を教えて?
ふむふむ。
以下が私なりの「管理」の考えです。
みんなを見守り、良い方向に導くこと
チームメンバは「見てもらっている」と感じる
失敗したときには助ける
管理の行く末はアドバイス
絵文字にすると👀
「監視」
OK Google、監視の意味を教えて?
ふむふむ。
以下が私なりの「監視」の考えです。
みんなのことを見張ること
チームメンバは「見られてる」と感じる
失敗したら修正させる
監視の行く末はFBや指摘になる
絵文字にすると👁
それぞれの言葉を考えてみたところ、相手を「見る」という行動は同じだけれども、「見方」や「示し方」が違うんだなというところに辿り着きました。
『チームを良くしたい!』という一心で厳しくチームを管理しようとすると、どうしても「監視」になりがちで、しかも自分ではそれが「管理」だと勘違いしてしまっているパターンがあります。
たまに自分の動きや言動を「監視」になってしまっていないか、を振り返る必要がある、と思っています。
概念みたいな話しかしてないので例えてみる
ずいぶんと概念みたいな内容になってきてしまったので、もう少し具体的に何かに例えて考えてみようと思います。
例えば【階段の登り方を知らない人に階段の登り方を教える】とした場合。
「管理」は、登ることや登り方(アクション)は相手に任せる、もし足を踏み外して落ちてしまいそうになったら受け止めてあげられるように、数段下で無事に登り切れるまで見守ってあげる、という感じだと思っています。
なんなら1番下で見守る時もあると思っています。
『ここが今からチャレンジする「階段」というものですよ』とお伝えすること、階段を問題なく登り切れるように見守ってあげること、がメインですが、
時には階段に置いてある障害物を避けてあげたり、「どうやったら安全に階段を登ることができるのか」というアドバイスや説明、「手すりを使うと落ちそうになった時に安全だよ」と教えてあげることも必要かもしれません。
そして無事に登り切ることができたら超絶怒涛に褒める。
一方「監視」は「登り方が違う」「足のあげる角度が違う」「そんなよそ見しながら登ったら落ちるよ!!!」と一挙一動を見張り、注意し、指摘し、修正させる、という感じだと思っています。
これをされると相手は「注意されないように完璧に階段を登らなきゃ…」「この動きは大丈夫だろうか?怒られないかな?不安…」と、心理的安全性を欠いた状態で階段を登るというアクションにチャレンジをすることになってしまいます。
最終的には「階段登るのが怖い」とか「怒られるし、もうこの人と階段登るのやだな…」と恐怖モードになってしまいます。
心理的安全性が皆無で、よくないですね。
突然の管理とも監視とも違う第3のパターンなのですが、毎回相手に登るチャレンジをさせずに抱っこして登ってしまう、とした場合。
これをすると、本人にはその能力があるかもしれないのにチャレンジをする場を失い、自分の頭で考えることもできなくなってしまい、成長ができなくなってしまいます。
仕事に置き換えると「やり方は全部決まっていてそれに沿って作業するだけ」の手取り足取りパターン。これもまた、よくないですね。
経験談
恥ずかしながら、管理と監視を履き違えてしまった私の失敗談を書きます。
私はプライベートでは3人の子供の母をしておりまして、育児でのエピソードです。(仕事エピソードじゃなくてすみません!)
我が家はお風呂から出る時「数を数えてから出る」というルールにしていまして、長男は完璧に数えられますが、次男はまだ数字を飛ばしてしまうときがあります。
私はそれを毎日聞いているわけですが、次男が数字を飛ばしてしまったときは「5がないよーやりなおし!」みたいな感じで、注意をし続けていました。
そんな毎日を送っていたあるとき、次男が「ぼくは数を数えるのが下手だから、間違えるのが怖いから数えたくない」と言い出しました。
これを聞いた時『しまった…』とめちゃくちゃ反省しました。
私がしていたのは数字を数える次男が間違えないかどうか毎日「監視」をし、間違えていたことに対しての「指摘」をしてしまっていたからです。
もちろん私は次男のことが憎くて毎日注意をしていたのではなく「ちゃんと数字を数えられるようになってほしい!」と、次男の成長を願ってやっていたことだったのですが、やり方が間違っていた、ということになります。
これを「管理」にしていたら。
数を数えているのを聞いて、間違っていたとしてもそのまま聞いてあげる。アドバイスに留める(頻度も毎日じゃなくてたまににする)。
そうすれば、隣でしっかり数えられている長男のを聞いて、次男が自分の間違いを自分で直そうとしたかもしれないし、数えるのを怖がることもなかった、と思っています。
『いつかできるようになる』と見守ってあげることが大切、というスタンスを取ることを覚えた出来事でした。
このときは次男が自分から私に言ってくれたから気づくことができましたが、仕事ではなかなかそうもいかないと思っています。
やはり大人同士、気を使って相手に言いたいことが言えなかったり、すでに相手に対して萎縮してしまっていて、思ったことが言えない場面ということもあるかもしれません。
相手の成長を願ってやっていたことであっても「監視」になってしまっていては意味がない。 これは育児も仕事も一緒だと思っています。
(育児はどうしても感情が入りすぎてついつい監視してしまいがちになるのですが、そこは棚上げ力(引用:テリーさん)とさせてください🙏)
心にとどめていること
サブマネージャーとして日々立ち回るとき、進むべき方向に迷ったとき、ケンタロさんの2016年のブログ記事「マネージャーに期待すること」を読み返しています。
この記事全体を何度も何度も穴が開くほど読んでいるのですが(このブログに穴が開いたら私のせいですごめんなさい)、
「頼りになるお兄ちゃんお姉ちゃんのような存在でいい」というところがとても好きで、私は一人っ子なんですけど、会社では頼りになるお姉ちゃんになれるように意識しています。
きっとお姉ちゃんって、ずっと見ていて注意をしてくる存在じゃなくて、家族としての愛が根底にあって、適度な距離感を保って、でも必要なときは助けてくれて。ダメなときはもちろん注意もするけど、アドバイスもしてくれる。そんな存在かなぁと。
愛情と期待を持って接し、信頼関係を築き、もし気付かぬうちに「監視」となってしまっていたらみんなから言ってもらえるような、そんな関係性を築いていきたいです。
まとめ
同じ方向を向いてもらいたいから、成長してほしいからと「監視」をしてしまってチームメンバーからの恐怖や不信感を抱かれ、信頼を失ってしまっては元も子もなくなってしまうので、「管理」をすることで同じ方向に進んでいけるように導いていく、というのが必要だという結論に達しました。
っと、ここまで管理と監視について、ゲシュタルト崩壊しそうなくらい自分の中で考えて突き進んだ思考だったのですが、インターネットで「管理 監視」でググると情報がわんさか出てきました。
すごいぜインターネット!!
私とは違った考え方だったり、概念もあり、世の中は広さを感じましたし、いろんな知見を得られました。
すごいぜインターネット!!(大切なことなので2回)
最後に
私は「監視」職じゃなくて「管理」職になる!!!
と名言が出たところで、長くなりましたが、終わりにしたいと思います。
ペパボには尊敬すべきマネジメントの大先輩がたくさんいるので、日々勉強しながら成長していきたいです。
明日はそんな尊敬する大先輩の1人、ボブさんです!!!!!
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