プレゼントは誰のもの?
3年ちょっとお付き合いをしている恋人と、初めて喧嘩をした。
これまでも不穏な雰囲気になることは何度かあった。でもそれは喧嘩というより、どちらが悪いというのがなんとなく分かった状態の「アクシデント」だった。どちらかがどちらかを(意図せず)傷つけてしまって謝る、と言った感じの。
今回のはこれまでとは違った。お互いが対照的な意見を持っていて、それをぶつけ合うという、ちゃんとした(?)喧嘩だった。
喧嘩のきっかけになったのは、自分が恋人の誕生日プレゼントを選ぶのに「気が乗らない」と言ったことだった。
こう言ったのには自分なりの理由がある。
恋人には毎年クリスマスと誕生日にプレゼントをあげているのだが、一昨年のクリスマスプレゼントと昨年の誕生日プレゼントを未だに使っていないということを前から知っていたからだ。
自分としては、時間をかけて選んだプレゼントを一度も使ってもらえていないということがずっと気にかかっていた。もしかしたらあまり気に入っていないのかなあとか、実は嬉しくなかったのかなあとか、そんな考えが何度も頭をよぎった。
何度か冗談半分で「なんで使わないの〜!使ってよ〜」と言ってはいたものの、結局使われることなく今日まで来てしまっていた。
喧嘩しているときに言葉にしたことで気づいたことだが、自分にとってプレゼントを全く使ってもらえないということは、何度も好意を伝えているのに無視されているような、反応すらしてもらえないような悲しさがあった。
一方で恋人は「気が乗らない」という発言にショックを受けたようだった。
プレゼントを使っていなかったのは、使うことで傷がついたり劣化するのが嫌だったから、プレゼントを使うには環境が整っていなかったから(実家暮らしで、家に他の人のものとかが色々ある状態で使いたくなかった)という恋人なりの理由があったらしい。
自分がものに対してこだわりがありすぎるが故に、プレゼントも凝ったものをあげてしまっていたのだろうか。負担というか、プレッシャーというか、そういうものになってしまっていたのだろうか。
お互いの考えをしばらくぶつけ合っていたとき、恋人にこう言われた。
「捨てたわけじゃないし、いつかは使おうと思っているよ。プレゼントはもう『自分のもの』なんだから、いつ使い始めるかは自分の自由でしょ」
ハッとした。
言われてみれば、確かにそうだ。
わたしはプレゼントを「自分が恋人にあげたもの」として見ていたが、本当はあげた時点で「恋人のもの」になっている。わたしのものではない。
じゃあわたしは、そのプレゼントと本当に関係がなくなるのだろうか?
恋人が全く同じものを自分で買ったとして、それは「同じもの」になるのだろうか?
「めぐむはプレゼントに『自分の想い』を乗せているんだね」と言われた。
確かに思い入れみたいなものはあるし、相手が使っていたら喜んでくれたかな、嬉しいな、という気持ちになる。だから相手にあげたプレゼントを、自分には完全に関係のないものとして見ることができないのだろうか。
(でもこれに関しては恋人も似た感覚を持っていると思う。自分がプレゼントでもらったアクセサリーを付けていると嬉しそうに(ニヤニヤ?)眺めたり、写真を撮ったりしていたもの)
結局プレゼント論争(勝手に名付けた)には結論が出なかった。
それでも自分がプレセントを使ってもらえなかったということに対して「悲しい」と感じた事実は興味深い。プレゼントは誰のものなのか問題(また勝手に名付けた)に関して、もう少し考えてみたいなあと思った。